専門的知識提供への対価

東京日帰り出張の岐路、羽田空港で書いている。モノレール車中で、「おわび」と題する次のようなメールを受け取った。

○○○の話は、□□版の本日夕刊に掲載されたのですが、スペースの関係で矢原先生のコメントは入らなくなってしまいました。
お手数をおかけしたのに申し訳ありません。
掲載紙は追ってお送りいたします。

国際的に著名な学術雑誌で近々発表される論文の価値について、週末にX新聞の記者から、コメントを求められた。未発表の論文のpdfファイルを送ってもらって、内容についてコメントした。月曜のセミナーの準備など、差し迫った仕事がある中で、寝る時間を2時間ほど削って、対応した。
個人的には、このようなボランティアサービスは苦にならない。記者も、新聞に掲載するコメントの原稿を、メールで知らせてくれた。その結果、不適切な表現を修正することもできた。記者の対応としては、とても良かった。私にコメントを依頼した記者には、何も不満はない。むしろ、感謝している。
しかし、先日来の、理系=「専門馬鹿」という「元村発言」をめぐる議論が思い出される。理系の人間が、その専門性に対して応分の対価を要求しないから、いつまでたっても理系の人間の待遇が改善されないのだ。理系人間は、このような態度を捨てて、もっと対価を要求すべきである。私のブログへのコメントには、このような趣旨の主張があった。
さて、私は新聞社に対価を要求すべきなのだろうか。