情緒的な「里山」概念の危うさ2

 22日に書いた記事には、たくさんの訪問があり、このテーマに関心を持つ人が多いことがわかったので、続編を書きます。

 情緒的な「里山概念」という表現を見て、そうだそのとおり、と思った方と、やや不愉快な気持ちになられた方がいらっしゃるのではないでしょうか。「里山」という言葉は、里山は良いものだ、というある種の価値観と結びついているので、その言葉に批判的なことを書けば、このようなポジティブ・ネガティブな感情を呼びさましてしまうものと思います。

 保全生態学は、価値観を相手にせざるを得ない点で、基礎生態学とは違う困難さをかかえているのです。この点について、「自然再生事業指針」では次のように書きました。

2−5 科学的命題と価値観にもとづく判断
 <自然再生に関連する諸問題の中には , 科学的 (客観 的)に真偽が 検証できる命題 と,ある価値観 に基く判断が混在 していることに注意すべきである.生物多様性が急速に失わ れていると言う現象は客観的に証明できる命題である.一方,自然と人間の 関係 を持続可能な 関係 に維持すべきであるという判断は特定の 価値観に基づいており,客観的命題ではない .このような,持続可能性を目指すという価値観を前提として ,その 目的を達成するための方途や理念を客観的に追究する科学が保全生態学である。
 保全生態学が前提とする価値観については , 必ずしも社会全体の合意を得ているわけではない .人間がどのような形で持続可能に自然を利用 していくかについては ,科学的に唯一の解を決めることはできず,合意形成というプロセスを通じて初めて ,社会的な解決をはかることができる,このような合意形成のプロセスにおいて ,特定の価値観 に基づく目的が現実的 に達成できるかどうか , その目的がより上位の目的と整合性 があるかどうか ,その目的を達成するにはどのような行為が必要か ,などの問題 については,科学的に検証することが可 能である .このような問題を科学的に検証し,関係者に判断材料を提供 し, 合意形成に資する客観的な情報提供を支援することが生態学の 役割である.>

 以上の点は、保全生態学に取り組むうえで、まずしっかり理解しておいてほしいと思います。

 さて、鷲谷さんと一緒に書いた『保全生態学入門』では、二次的自然の重要性を主張する中で、以下のように「田園」とセットで「里山」という表現を使っています。

 <自然の価値の評価において従来は,ヒトの干渉が少なければ少ないほど,その自然は保護する価値が高いとされた。人間活動の影響があまり及んでいない原生的な自然の価値は,もちろん現在でも大いに重視しなければならない。しかし,上にも具体的な例で紹介したように,今日ではそれだけでなく,ヒトの干渉の大きい二次的自然についてもその保全的な価値を見直すことが必要になってきた。二次的な自然は,なんらかの人為的な干渉や管理のもとに成立するものである。原生林の伐採の後に成立する二次林,定期的な伐採,下草刈りによって維持される雑木林,放牧,火入れ,採草などによって維持される草原などがその代表的な例である。それは,自然とヒトの営為の合作ともいえる。

 そのような自然は,それぞれの地域で,工業化以前の伝統的な人々の生産・生活と結びついて維持されてきたものである。「田園」や「里山」などの言葉で表される景観をかたちづくっているのは,二次的な自然である。わが国で急速に進行しつつある,上述の例のような生物多様性の低下は,多分にそのような二次的自然からなる景観の喪失と結びついている。そのため,二次的な自然の骨格をなすともいえる,「適切な人為的攪乱によって維持される植生」の意味を問い直すことが必要となっている。>

 この主張は、今日ではかなり広く支持されていると思います。問題は、「里山」という概念が、「昔の日本人は自然と調和した暮らしをしていた」という、日本人の伝統的な暮らしを根拠なく美化する考え方と結びついてしまったことでしょう。そこで、昔の日本人は本当に自然と調和した暮らしをしていたのかを、根拠にもとづいて検証しようとしたのが、地球研の環境史プロジェクトでした。『環境史とは何か』は、その成果をまとめた本です。結論をひとことで言えば、いつも調和していたわけじゃないよ、ということです。当たり前ですが、当たり前のことにきちんと根拠を示すのは、大事です。

 『環境史とは何か』には、「いつも調和していたわけじゃないよ」という以上の大事なことがいろいろ書いてあるので、保全に取り組んでいる人には、ぜひ読んでほしいです。エッセンスが紹介されている、Shorebirdさんの書評をもういちどリンクしておきます。

https://shorebird.hatenablog.com/entry/20110402/1301738928

 『環境史とは何か』をまとめるとき、湯本さんと、コモンズ論との関係を整理しようという議論をしたことを覚えています。Ostromのコモンズ論については、いま改めて勉強して考えているので、いずれまた書きたいと思います。

 里山イニシアティブの功績や、自然共生社会の概念など、関連して書きたいことはいろいろありますが、今日はここまでにします。