情緒的な「里山」概念の危うさ

GFBさんのツイート(https://twitter.com/MC_sashiba/status/918463407363260416)で、トキやコウノトリの野生復帰をめざす事業が行政の後押しも受けてやや前のめりになっていることを知りました。ツイートにリンクされている行政文書を斜め読みして、とりあえず以下のツイートを書いておきました。

「関東でトキやコウノトリの野生復帰を目標にする計画は、「自然再生事業指針」にまとめた原則(下記)に照らして、再検討が必要だと思います。まず、「基本認識の明確化」が不十分。」

この手の野生復帰事業は、植物の移植と一緒で、復帰先(移植先)の環境を整えずに、放鳥(移植)をやろうとしています。復帰先(移植先)の環境を整えて、自然に分布を広げてくれるようにするのが基本です。復帰先(移植先)の環境を整えずに放鳥(移植)しても、うまくいきません。これは生態学的な復元事業の大原則。

「自然再生事業指針」は、自然再生推進法ができたときに、自然再生の名の下で新たな自然破壊が進まないように原則を確立しようという意図で、20名の生態学者が知恵をしぼって作ったもの。自然再生や野生復帰に関わる人は、まずこの指針をしっかり読んでほしい。

また、GFBさんは、里山概念の危うさを指摘されています。この問題については、湯本さん、松田さんと一緒に編集した下記の本をぜひご一読ください。

環境史とは何か (シリーズ日本列島の三万五千年―人と自然の環境史)

以下の書評で内容が紹介されています。

https://shorebird.hatenablog.com/entry/20110402/1301738928

私は、鷲谷・矢原著『保全生態学入門』の中で、原生林を守ることを重視する自然保護観から、二次的自然を守ることに目を向ける自然保護観への転換を主張しました(もちろん前者が不要という意味ではありません)。このような視点の転換の中で、「里山」という概念が普及しましたが、そこには情緒的な危うさもつきまとっていたと思います。

上記の『環境史とは何か』は、「昔の日本人は自然と調和した暮らしをしていた」というような情緒的な見方を、根拠にもとづいて批判的に検討することを意図して編集された本です。

この本を編集して以後も、人間と自然の関わり方については、ずっと考え続けてきました。いまとりかかっている『保全生態学入門』改訂作業では、その後の知識・思考の蓄積も生かして、可能な限り批判的かつ建設的なレビューを加筆したいと思います。

この問題は論じはじめると長くなるので、時間をみつけてすこしずつ書いていきます。この問題に関心がある方は、とりあえず『環境史とは何か』をぜひご一読ください。

 

なお、この仕事用のブログ(Y日記)のほかに、気ままなブログ(Zバージョン)を書いています。

万葉集に記録されたホトトギスの托卵

https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/05/21

大伴旅人に贈られた卯の花ホトトギスの歌

https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/05/20