阿蘇シンポ

昨日から、総合地球環境研究所湯本プロジェクト「日本列島における人間―自然相互関係の歴史的・文化的検討」の研究集会に参加している。
昨日は、公開シンポジウム「阿蘇・くじゅうの草原の歴史と未来を探る」が開催された。阿蘇の草原の歴史を知り、その未来を考えるうえで、とても勉強になるシンポジウムだった。
最初は、大山喬平さん(京大名誉教授)による、「中世阿蘇の神々と村々」と題する記念講演。昔の阿蘇は大きな湖だったが、タケイワタツが湖を蹴破ったために、草原になったという伝説や、平将門が叛乱をおこしたとき、平将門の軍勢を襲ったクマバチの群れは阿蘇から飛び立ったという伝説など、阿蘇にまつわる伝説を知った。阿蘇に詳しい人にはきと常識なのだろうが、私にとっては初耳だった。ちなみに、小園の女蜂(メンバチ)社という神社には、クマバチがまつられているそうだ。
続いて、長谷義隆さん(御所浦白亜資料館;元熊本大学)による「堆積物が語る阿蘇の環境変遷と草原の出現」という講演。タケイワタツノミコト(健磐龍命、と書くそうだ)が湖を蹴破ったという伝説の背景を検討するために、宝泉橋という場所でボーリング調査をしたところ、上下の砂礫層にはさまれて、泥・シルトの堆積層が見つかったという。しかもこの堆積層には浮遊性の珪藻が多いので、阿蘇には確かに湖が発達した時代があったことがわかった。年代推定の結果から、21000年以降8000年前までは湖が形成されていたと考えられる。
21000年ころになぜ湖が形成されたのかについては、説明がなかった。今日・明日のシンポジウムの中で、議論のひとつのポイントになるかもしれない。
この講演に対するコメンターの宮縁育夫さん(森林総合研究所)は、「阿蘇カルデラ辺域における草原の歴史」と題して話をされた。プラントオパールの分析によれば、32000年前まではススキ草原であり、その後13500年前までの褐色土層はイネ科が非常に少ない植生(おそらく寒冷化と中岳の火山活動によって植生が後退した状態)が続き、13500年前以後にはササ草原が発達したそうだ。宝泉橋とは別の場所での、別の評価法による分析なので、単純な比較はできないが、阿蘇カルデラ内は、最終氷期に、湖になった場所や、火山荒原になった場所があったのだろう。
続いて、橘昌信さん(別府大学)による「阿蘇・くじゅうの草原の先史−旧石器・縄文時代遺跡」に関する講演。日本の旧石器時代研究に関しては、例の「捏造事件」以来、多くの「定説」が覆された。私は旧石器人の確かな証拠はほとんどないものと思っていたが、約27000年前のAT(姶良Tn)火山灰よりも下位にある耳切遺跡では、ナイフ形石器(側辺加工槍先形尖頭器)が出土しているそうだ。約27000年前といえば、ヨ−ロッパではまだ、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)が、ヒト(ホモ・サピエンス)と共存していた時代である。およそ8万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスは、3万年前には、日本列島にたどりついていたことになる。
以上の2つの講演から、約3万年前の最終氷期阿蘇には自然草原が発達しており、そこにヒトが移住し、活動を始めたことが明らかにされた。現在では、阿蘇の草原の大部分は人間活動によって維持されており、そこに大陸系のさまざまな草原植物が生育している。これらの草原植物は、寒冷化と火山活動の影響の下で発達した自然草原に分布をひろげたあと、人間活動の拡大によって後氷期にも阿蘇に残ったものと考えられる。人間活動開始前の歴史と、人間活動開始後の人間―自然相互関係史をつなぐことが「列島プロジェクト」の大きな目標であり、この目標に沿った成果が得られたと思う。
次の講演は、飯沼賢司さん(別府大学)の「阿蘇下野狩神事から草原の歴史を読む」。下野とはカルデラ内の中央にある山地(鷹山=高山:中岳・往生が岳・杵島岳烏帽子岳の総称)の西側に位置する一帯を指し、中世には大規模な狩神事が行なわれた。「矢にあたった鹿は成仏できる。見物人も功徳を得る。鹿は神官に生まれ変わる。」という理屈で狩神事が行なわれたそうだ。神仏習合の典型とも言える、「見事な」理屈である。
この講演を受けて、春田直紀さんから「阿蘇北外輪山の中世的表現」と題して、湯浦地区の牧野管理の変遷史についてのコメントがあった。
最後の講演は、阿蘇花野トラスト理事長の瀬井純雄さんによる「阿蘇の草原植物の現状と花野再生」。花野トラストでは、2004年3月27日に野焼きをはじめたが、その年の2004年7月には、ツクシクガイソウ・ヒメユリなどが回復し、2005年7月にはユウスゲの群生が回復したという。多くの草原植物は、「地下茎バンク」によって休眠しながら、土の中で生き続けている。したがって、潅木林化が進んだ場所でも、野焼きをすれば、「花野」が回復することが、実証された。この成果はすばらしい。
しかし、草原を維持するには、草刈りと野焼きを続けなければならない。そのためには、「草を資源として利用するシステムの再構築」が必要だという指摘は、とても重い。
この講演を受けて、高橋佳孝さんから、「阿蘇草原の維持保全と自然再生」と題するコメントがあった。年間2000万人の観光客が訪れ、あるNPOは10年間で9000人のボランティアを受け入れたという。「草原再生シールの会」という農家の活動や、ススキを使ったガス発電の試みも、明るい材料である。「草を資源として利用するシステムの再構築」が可能であるという期待をもたせるコメントだった。もちろん、まだ多くの工夫と努力が必要とされている。