松本和子教授研究費不正使用問題(続)

元村有希子さんが、今日の「発信箱」毎日新聞朝刊2面)で、「黙せず語れ」と題して、この問題をとりあげられた。

松本教授の沈黙は歓迎できない。彼女が不正に受け取った研究費は、私たちの税金から出ている。ジダンが黙ってもサッカー人気は衰えないが、彼女が黙ると、日本の科学技術への信頼は急降下する。

賛成である。この問題が、日本の科学技術に与えたダメージは甚大だ。早速、100億円あまりの予算が凍結された。それ以上に、国民の信頼を失った影響は、はかりしれない。松本教授の沈黙は、彼女が日本の科学に対して、責任感を感じていないからではないか。

毎日新聞の「土曜解説」では、下桐実雅子さんが、「大学研究費の不正使用 急増に管理追いつかず」と題して、記事を書かれている。

「不正はなぜ起きたのか?」と問題を提起したあと、「特定のスター研究者に資金が集中する弊害も出ている。松本教授を知るある関係者は『潤沢に研究費をもらっても、政府の要職などの仕事で忙しく、使い切れずに困っていた』と証言する」と書かれている。

前半で
「緊縮財政下でも研究費は増えてきたが、抜本的な不正防止対策を示さなければ、国民の理解は得られないだろう」
と書き、
財務省は『不正が続いたのに、予算が増えるのは国民の目から見ておかしい。松本教授の不正の背景に、見積もりの不備があったとの指摘もある』と厳しい姿勢を強めている」
と結ばれたこの記事は、全体として、研究費の抑制を促すトーンである。

今後、このような論調が強まるだろう。国民の信頼を回復するために、科学者は今後、大きな努力を払う必要がある。

この問題は、研究費を抑制すれば解決するものではない。しかし、一方で、特定の研究者に、不必要な研究費の集中がある実情は、改善しなければならない。「選択と集中」が大きな不正を生んでしまった以上、この政策には反省が必要だ。先日書いたことの繰り返しになるが、「最適な配分」が、改革のキーワードだと思う。科学技術に対する社会の期待は大きい。必要なところに、必要なだけ予算を割くことに関しては、国民の支持が得られるにちがいない。

多くの研究者にとって、研究費は決して余っていない。私は比較的研究費に恵まれているほうだが、それでも今年度は科研費が採択されなかった。基盤研究(A)という狭き門にチャレンジした結果ではあるが、実績も立場もある研究者でも、研究費が得られない年があるという一つの例である。科研費の採択率は、21%に過ぎない。申請した研究者のうち約8割は、科研費をもらえないのが実状なのだ。これは、アメリカ合衆国の水準より低い。しかも、校費(運営交付金による研究費)は目減りを続けていて、私の研究室の場合、水光熱費・郵便代・コピー代を差し引けば、年度当初の時点ですでにゼロである。

先の下桐さんの記事では、次のように書かれている。

 「聖域なき歳出削減」の中で、科学技術予算は「明日への投資」として例外的に増え続けた。いわゆる研究費バブルだ。研究計画を審査し、優れたものに研究費を配分する競争的研究資金はここ10年で3倍に伸びた。振興調整費もその一つだ。

 その伸びに資金管理システムが追いついていないのが実情だ。文科省の競争的研究資金の6割を占める科学研究費補助金だけでも、会計処理の不正で返還処分などを受けたケースが01年度からの5年間に27件あった。

国民の信頼を回復するための努力の一環として、上記の指摘は適切ではないと申し上げたい。

科研費に関して言えば、平成7年度の総額が924億円、平成17年度の総額が1880億円で、2倍には増えているが、3倍ではない(データはこちら)。過去5年間の増加率は、11.3%→7.8%→3.6%→3.7%→2.7%、と顕著に減っている。その結果、採択率は、平成7年度の29%から、平成18年度の21%へと8%も低下している。研究者のアクティビティがあがり、申請件数が増えているにもかかわらず、予算が追いついていないのが実状なのである(科研費のページの「関係データ」を参照)。

科研費は、社会科学も人文科学も、理学も農学も工学も医学も含む、基盤的な研究費である。その総額は、1880億円。3兆5000億円にのぼる政府の科学技術予算の中では、5%をしめるに過ぎない。一方で、たとえばライフサイエンス関係の非競争的研究資金は、2000億円を越えている。ライフサイエンス関係だけで、科研費総額より多いのだ。変ではないか。

私が知る限り、競争的研究費のほうが、非競争的研究費よりも、資金管理は厳格である。振興調整費ですら、管理が厳格で、使いにくいことで有名である。科研費に関して、5年間に27件の不正処理が発覚したという実績は、決して褒められはしない。しかし、会計検査院の検査を受けても、この程度の件数しか問題がなかったという点は、冷静に考えれば、きわめて公正な運用がされているということである。

ではなぜ松本和子教授の不正使用が起きたのか。

やはり、必要以上に特定の研究者に研究資金が集中したことの問題が大きい。誤解を与えないために繰り返すが、大部分の研究者にとって、研究費は余っていない。私も含め、私財を研究に投入している研究者は少なくない。

一方で、特定の研究者に、使い切れないほどの研究資金が集中した。松本和子教授のケースはかなり例外的だとは思うが、「選択と集中」という研究費配分政策が生み出した「影」ではある。

松本和子教授の場合も、ポスドクや特認スタッフを雇用して、実質的に研究に生かす道はあったはずである。研究者側のモラルがしっかりしていれば、幸運にも巨額の研究費が得られときには、それを有効に生かす道は必ずある。自分で使い切れなければ、有効に使える人に使ってもらえば良いのである。松本和子教授には、そのモラルと見識がなかったと言わざるを得ない。

7月6日付けの報道によれば、「約2300万円の流用があることが新たにわかった」そうだ。試薬購入など「カラ伝票」で約2300万円の資金を企業に払い、ほぼ同額の寄付を受けていたという。大学への寄付だから、最終的に研究に使われるという言い訳は通用しない。前代未聞の不正運用である。このような不正がまかりとおった背景には、早稲田大学経理が甘かった事情もあるだろう。九大でこんなことをしていれば、すぐに発覚すると思う。それにしても、異常である。このような非常識な資金運用が、大学で広く行なわれていると誤解されては困る。多くの研究者は、もっと健全な常識を持っている。

しかし、大学の管理や、研究者のモラルと見識に期待するだけでは、問題は解決しない。やはり、過度な集中は見直すべきだろう。

ノーベル賞級」の研究者に、研究費を集中配分して、日本から50人のノーベル賞を出すといった発想が、この問題を生んだのだ。