スラウェシから帰国、震災から一年目の報道を見て

昨日の朝、スラウェシの山を降り、マカッサル、ジャカルタシンガポール、羽田と乗り継いで、今朝9時ころに福岡空港に到着した。自宅に戻り、現地で下洗いしてきた洗濯物をもういちど選択し、シャワーをあび、軽く昼食をとってから、昼寝をした。シンガポールを10時ころに発つ夜行便はよく使うのだが、日本時間で0時に発ち、日本に5時半ころに到着するので、3時間程度しか眠れない。そのまま仕事はきついので、今回は日曜日に戻り、昼寝をすることにした。この選択は正解だった。
夜は実家で両親と夕食をとりながら、震災一年目のNHK報道特番を見た。死者・行方不明者を合計して、1万9009名とのこと。そのご家族、親戚、友人の方々は、今も痛恨の思いを胸に暮らされている。「会社を終えてこれから自宅に戻る。怖いよ〜」という奥さんのメールが最後になったという方が、「なぜあのとき、戻るなと言えなかったのか」と悔やまれているのに、心を動かされた。震災を生き抜き、今を必死で生きている方々の言葉には、ずっしりとした重みがある。
それに比べて、野田首相や平野復興相の言葉の軽さが対照的だった。
スラウェシ滞在中に、環境省のプロジェクト予算が4月から必要な理由を説明した文書を山の中で書いて、事務に送った。次年度予算が3月中に成立しないので、暫定予算が組まれる見通し。しかし、暫定予算についての財務省の査定は厳しく、4月からの人件費が認められない可能性があるという。すると、プロジェクトで4月以降の継続雇用を予定しているポスドクの契約が宙に浮く。それは断じて困るので、熱筆をふるった。
しかし、どうして予算が成立しないのだ。民主党自民党の間で、消費税増税を含め、政策の大きな違いはない。にも関わらず、予算案を成立させることができない政府と、予算案を人質にとる「立派な野党」には、政治に対する責任感が欠如していると言わざるを得ない。予算案を年度内に成立させるのは、政治家にとっての最低限の責任だろう。
今の状況を憂い、強いリーダーを求める声があるが、問題はリーダーよりも政党組織全体にあると思う。日本はもともと、リーダーの統率力よりも、指導層全体としての指導力と国民全体の献身性で、近代化を果たし、ここまでやってこれた。しかし今は、民主党自民党も、政党組織として体をなしていない。どちらにも消費税増税推進派と反対派がいるし、原発容認派と反対派がいる。この例が象徴するように、どちらの方向に進むかという基本ビジョンについて、政党内で基本的な合意ができていない。私は、民主党自民党も、この事態を招いた責任をとって解党すべきだと思う。そのうえで、さまざまな個人・グループが、日本の将来ビジョンを国民に提示し、1年間くらい議論したうえで、総選挙をするのが良いと思う。
といってみても、この構想が実現する可能性は薄い。では、どうするか。政治が機能しないなら、民間が日本の将来についての複数のオプションを考えて、国民全体での議論をおこす以外に、道はないだろう。