安保法制と道徳

SEALDsが浮き彫りにした「個」と「忠誠」の相克 保守・リベラルの対立は乗り越えられるのか?
という記事をJB Pressに書きました。
この記事で紹介している道徳心理学の研究については、以下の本が詳しく紹介しています。
社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
記事を書くときは、この本が手元になかったので、以下の論文を参照しながら書きました。
Graham J et al. (2012) Moral Foundations Theory: The Pragmatic Validity of Moral Pluralism
この記事に関連して書いたツィートのまとめ:

  • スティーブン・ピンカーが『暴力の人類史』(邦訳:青土社)で多くの証拠をあげて立証しているように、人類は歴史を通じて暴力を減らす方向に進んできた。この進歩の背景には、「他人を傷つけるのは悪いことだ」という道徳規範がある。今では多くの国で、他人を傷つけることは犯罪だ。
  • 国内では傷害や殺人は犯罪なのに、国どうしの戦争はなぜ犯罪ではないのか? 小学生にこう聞かれて明快に答えられる人は少ないだろう。人道的には戦争は罪だ。それが犯罪でないのは、それを犯罪に問う国際法がないからだ。ないなら作ればよい。今後の世界は必ずその方向に動く。
  • 安保法制は残念ながら、平和をめざす世界の流れに逆行している。日本はせっかく平和憲法を持っているのだから、不戦条約を結ぶ国際的な流れをリードするほうが良い。まず中国との間で不戦条約を結ぶ努力を始めてほしい。それがもっとも有効な戦争抑止戦術だろう。
  • 「他人に危害を加えない」ことを善と考える道徳心は、共感によって支えられている。もともとは小集団における協力を支える性質(互恵的利他性)として進化したが、新聞→ラジオ→テレビ→インターネットの発達により、共感の範囲が広がった。その広がりが戦争リスクを下げた。
  • 今や世界は人類史上もっとも平和な時代にあり、さらなる平和に向かっている。集団的自衛権という考えは過去の遺物であり、いずれ人道的な罪を容認する考えとして放棄されるだろう。これをポエムだと思う人は、ピンカー『暴力の人類史』を読み、統計から歴史を見ることを学んでほしい。
  • 残念ながら日本では、平和を拡大する世界の流れとは逆行する安保法制が可決されようとしている。安保法制は、「他人を傷つけてはいけない」という最も基本的な道徳に反する。可決されても反対の声はさらに広がり、SEALDsによる賛成議員落選運動が大きな結果を生む可能性大だ。
  • 「他人に危害を加えない」「嘘をつかずルールを守る」という道徳規範は保守・リベラルを問わず普遍的なものだ。ところが、大規模な人間社会の協力行動を支える第三の道徳規範「組織に忠実である」には個人差が大きい。この個人差が保守・リベラルの違いを生み出す大きな要因だ。
  • 「組織への忠誠」という道徳規範は、組織内の結束を高めるとともに、組織間の敵対を生みだす。巨人vs阪神、AKBvsももクロ、この程度のファン同士のライバル意識なら実害はないが、日本vs中国、のような愛国心の対立は厄介な問題を引き起こす。
  • 中国と友好関係を築くことが抑止力になるvs中国の軍事的脅威に対抗するには日米同盟強化が必要、この認識の違いが、安保法をめぐる対立の背景にある。そして、賛成派、反対派それぞれ、自分の結論に都合のよい証拠をあげて議論している。このため議論はかみあわない。
  • 議論をかみあわせるには、道徳規範(価値観)にもとづく判断ではなく、エビデンスにもとづく理性的な議論が必須だ。「中国の軍事的脅威への対抗策」を可能な限りあげて、それぞれのコスト・リスク・ベネフィットを比較すべきだ。これからの社会において大事なのは、この理性主義だ。
  • SEALDsは来年の参院選落選運動を提案している。この運動はかなりの成功を収める可能性があるが、大きなハードルがある。それは、かつての民主党政権への失望感と、反対派野党間の政策の大きな隔たりだ。民主・共産・維新などが手を組んでまともな政府が作れるのか?
  • 民主・共産・維新などが手を組んでまともな政府が作れるのか? この難題に答える道は、理性主義にあると思う。つねに複数の選択肢を考えて、それぞれのコスト・リスク・ベネフィットを比較し、証拠にもとづく理性的な判断で政策を決めていく。これが今後の政治の王道だろう。

もちろん、この政治の王道を自民党が歩んでくれれば、日本の政治はもっと安定すると思います。当面は無理でしょうが、いずれ自民党が意見の多様性を取り戻し、より理性的な方向に転換してくれることを期待します。