慶びと喜び

謹んで新年のお慶びを申し上げます。
という新年のあいさつ文では、「喜び」ではなく、「慶び」という漢字を使う。「喜び」と「慶び」はどう違うのだろう。
こういう時、昔なら、広辞苑や百科事典を使うのだが、今ではネットが利用できる。便利になったものである。
http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?stage=2&sn=257に以下の解説があった。

「喜」は漢字の成り立ちとしては、「楽器をならし神に祈り、神を楽しませる」という意味をもつものです。漢字のもつ意味としては、「よろこぶ/よろこび」「めでたいこと」などがあります。
一方、「慶」の方は、成り立ちとしては「裁判に勝訴した人のよろこびを祝いに行く」という意味の漢字です。意味としては「よろこぶ」以外に「祝う」「さいわい」「縁起がよい」「賜う」などを表す漢字です。
以上のような、もともとの意味の違いというものから、二つの漢字が用いられる場面の違いというものも見えてこないでしょうか。「慶び」の方は公の祝儀の場面で用いられることが多く、またそれに相応しい漢字です。それに対して「喜び」の方は、私的な場面で用いられることが相応しい、あるいは「慶び」よりも意味の上でも使用の場面に関しても汎用性が高い語だと言えるでしょう。

なるほど。たしかに「喜び」はよりくだけた表現、「慶び」はよりあらたまった表現である。英語で言えば、「喜び」はhappy, 「慶び」はpleasedやdelightedに相当すると考えれば良いだろう。もちろん、異なる歴史を背負った国の異なる言語だから、まったく同じニュアンスではないだろう。
共同体における公的な祝儀として新年の挨拶を交わした時代には、「よろこび」は「慶び」であった。しかし、今はかつてよりももっと個人を大切にする時代である。それならば、「慶び」ではなく「喜び」で新年の挨拶を交わしても良いのではないだろうか。
英語では、新年の挨拶はふつう、Happy new yearである。この言葉には、家族や親しい者どうしで、新しい年を喜び合うニュアンスがある。
ちなみに、日本語には「喜び」「慶び」のほかに、「悦び」「歓び」という表現があり、音は同じだが、ニュアンスはそれぞれ異なる。「悦び」は満悦の「悦」であり、心に入った悦びをあらわす。英語でいえば、rejoiceだろう。「歓び」は、心が高まり、嬉しくて躍り上がるような「歓び」。英語でいえば、delightだと思うが、ドイツ語の「フロイデ」の方がぴったりくると思うのは、「第9」が普及しているおかげであって、本国ドイツでのニュアンスがぴったりくるのかどうかはよくわからない。
日本語でも英語でも、「よろこび」の表現に多様性があるのは、うれしい気持ちをさまざまな形であらわすことが、社会の中で重要な意味を持つからだろう。
日本語では、漢字という表意文字が使えるので、音は同じだが意味が異なる漢字を使うことで、表現を多様にしている。一方の英語では、表音文字しか使えないので、happy, pleased, delightedのように発音が違った単語を使って、表現を多様にしている。
言語の歴史のうえでは、表音文字は画期的な発明であった。表音文字が発明されたおかげで、表意文字に縛られていた状態に比べ、はるかに少数の文字で、ずっと自由度の高い表現が可能になった。結果として、表音文字は世界中に広がり、表音表意文字は中国・日本など一部の国にだけ残った。
確かに、表意文字は覚えるのが大変だ。しかし、一度覚えてしまえば、大変便利である。一目見ただけで意味がとれる。筆談ができるというメリットもある。
表意文字表音文字の組み合わせという折衷技を実現した日本語は、両者のメリットを生かしたとてもユニークな言語である。
たとえば「慶び」という漢字を「喜び」に変えるだけで、違ったニュアンスを表現することができる。
もちろん、それぞれの国の言葉には、それぞれの歴史があり、それぞれの特色がある。どれかの言語が優れているということはない。言語の多様性は人類の歴史と文化の多様性を反映している。
ウィキペディアの「文字」の項には、さまざまな言語で使われている「文字」の世界地図が掲載されている。アジアはとくに文字の多様性が高い。それは一方ではコミュニケーションの障壁でもあるが、他方では多様な歴史と多様な文化の存在の証でもある。
多様な歴史と多様な文化に対する尊敬こそ、これからの世界にとってもっとも重要な価値観のひとつだろう。
多様性を尊ぶ価値観がもっと大切にされる新年であることを心から祈りたい。