複雑な世界、単純な法則

マーク・ブキャナン著 阪本芳久訳
複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線
草思社;2200円;2005/3/3;ISBN:794213859

憎らしいくらい、うまく書かれた本だ。科学の普及書を書くなら、このくらい面白くストーリーを組み立ててみたい。しかも、本書の組み立てには、本書の内容に関わる巧妙なしかけがある。いやはや、見事である。
序章「複雑な世界を読み解く方法」は、カールポッパーの「歴史主義」批判から、書き始められている。ブキャナンは、歴史には法則があるという考え方を徹底して批判したポッパーを冒頭に登場させ、「大半の人は彼の結論は受け入れるだろう」といちどは同意してみせる。その直後に、実はおそろしく複雑な歴史の背後に、単純な規則があるかもしれないと述べ、読者を本書のテーマにうまく導いている。
続いて、前半のストーリーの主役をつとめる2人の数学者が登場する。1998年の冬のある日のことだ。ダンカン・ワッツとスティーヴン・ストロガッツは、「なぜ世間はこんなに狭いのか」を説明するグラフをまさに発見しようとしていた。この「発見現場」の短いカットに続いて、先駆者ミルグラムが巧妙な実験によって「六次の隔たり」を発見したエピソードが、「回想シーン」のように挿入されている。ミルグラムはランダムに選んだ住民に手紙を送り、ミルグラムの友人X氏に手紙の転送を頼んだ。このとき、「あなたの友人の中から、X氏を知っていそうな人を選んで、転送を依頼してほしい」というように頼んだのだ。その結果、手紙の大半がX氏に届いたのだが、これらの手紙が転送された回数は、どの場合にもなんと6回程度だった。序章はまるで映画の予告編のようだ。
第1章は、1998年の春、Natureの編集室が、ワッツとストロガッツの投稿論文を受け取るシーンから始まり、続いて、ミルグラムが本格的に登場し、次々に巧妙な心理学的実験を披露する。
第2章では、脇役だが個性的な、放浪の数学者エルディシュが、ミルグラムの実験結果のなぞに数学的に取り組んだグラノヴェターの前座をつとめ、次に登場するグラノヴェターが、強いリンクではなく、弱いリンクこそがネットワークの性質を決めるという意外な結論を導いてみせる。
第3章は、主役の二人が、ホタルの発光はなぜ同調するかという問題に取り組んでいるシーンから始まる。かれらはやがて、ミルグラムグラノヴェターの研究にたどりつき、ついに「六次の隔たり」を説明するグラフ理論にたどりつく。Natureに発表され、その後の研究の導火線となる「スモールワールド理論」がついに姿をあらわした。
規則的なネットワークでは、任意の2点間でリンクをたどると、ときには途方もない数の点をたどらなければ、相手にたどりつけない。世間は広いのである。しかし、ワッツとストロガッツが考え出したグラフは、規則的なネットワークにいくつかのランダムな、弱いリンクが加わるだけで、2点間の「隔たり」が格段に縮小することを示していた。少数の弱いリンクが、世間をあっという間に狭くするのである。
第4章では、脳のネットワークもスモールワールドであること、第5章ではインターネットもまたしかりであることが紹介され、一見無関係な、しかも一見おそろしく複雑な現象の背後に、共通の法則があることが、暗示される。そしてここで、「べき乗則」の登場となる。「べき乗則」とは、富の分布や、インターネットのリンク数の分布などが、単純な指数関数に従うという規則である。河川の流域面積の分布もまた、「べき乗則」に従う。
第6章では、「べき乗則」が、ごく簡単なアルゴリズムから導かれることが、河川ネットワークを例に紹介される。河川の複雑な形状が発達していく様子は、「水は低いほうに流れる」と仮定するだけで、コンピュータ上で再現できる。この発達過程、すなわち「歴史」には、実際には地質条件や植生の分布など、現実の複雑な諸要因が関与しているはずだ。しかし、これら一切の詳細を捨象した単純なモデルから得られた仮想の河川流路の様子は、複雑に枝分かれした現実の水系と、うりふたつなのである。
第7章「金持ちほどますます豊かに」では、同じアルゴリズムが富の分布の偏りを生むことが説明される。「金は金持ちに集まりやすい」と仮定するだけで、富の分布のパターンが再現される。別の表現をすれば、「人気者に人気者が集まるとスモールワールドができる」のだ。
ここまでが前半である。第8章から第13章までの後半では、空港の混雑やサイバーテロ、生態系のネットワークやエイズの伝染など、一見無関係なさまざまな話題がとりあげられている。ここで登場するのが、ソ連の秘密警察に逮捕され、幸運にも処刑をまぬがれた物理学者ランダウである。私の世代なら、ファインマンと並んで、教養時代に親しんだ名前であり、懐かしい記憶がよみがえる。彼の相転移理論は、根本的には一種のネットワーク理論であるという意表をつく視点を提示され、グラッドウェルの『ティッピングポイント』の理論、つまりアイデアや噂や犯罪傾向が、ウイルスの蔓延と似た方法で社会全体に広がっていくという考え方へとリンクされていく。このようなリンクの先に導かれる結論は、読む人への楽しみにとっておこう。
ここで、昨日のブログに掲載したグラフを思い出していただきたい。九大移転用地における約400種の植物の生育地点数を上位から順に棒グラフに描くと、一部の種が多数の地点をしめ、多くの種はごく少数の地点にのみ生育し、そして地点数の分布は見事に指数関数に従うのである。このパターンを説明する理論のひとつ「群集の中立モデル」は、富の分布を説明する「金持ちほどますます豊かに」理論と基本的に同じアルゴリズムに依拠している。すべての種の性質が同じであると仮定しても、たまたま分布地点数が多い種ほど、分布の空白地点に分散しやすいという規則を与えるだけで、「べき乗則」があらわれるのである。同じアルゴリズムで、論文生産数の「べき乗則」を導くこともできる。すべての研究者の潜在的能力が同じであっても、たまたま論文をより多く書いた人が、より良い研究環境を獲得し、より多くの論文を書くようになると仮定するだけで、「べき乗則」があらわれる。
このような理論は、投資家や、種や、研究者の潜在的能力に違いがないと主張しているわけではない。違いは当然、あるだろう。しかし、そのような潜在的能力が仮に同じであると仮定しても、現実に見られるパターンは見事に説明できるのだ。この事実は、潜在的能力の違いよりも、「歴史」が作られていく過程で作用する単純な規則のほうが、現実のパターンを導くうえで、ずっと大きな役割を果たしていることを示唆している。これが、「スモールワールド理論」の主張するところなのである。言い換えれば、一見おそろしく複雑に見える現実とその「歴史」の背後にあるのは、ごく簡単な規則ではないか、と主張しているのである。
この理論に対して、現実の世界ではたらく重要な諸要因を切り捨てているという反論は、当然のようにあらわれる。生態学の世界でも、複雑な生物群集が、単純な中立モデルで説明できるはずがないという主張があり、大論争になっている。私見では、複雑な世界を扱う科学では、唯一絶対のモデルはないと思う。群集生態学に関して言えば、中立モデルが有効な場合と、生態的地位の違いを考えたモデルが有効な場合がある。ただし、これまで多くの生態学者は、詳細にこだわりすぎてきた。生物群集や生態系に見られる全体的なパターンに関しては、あまりにも単純な「群集の中立モデル」のほうが、かえって予測力が高いように思う。ひるがえって、本書でとりあげられている「スモールワールド理論」は、広範な現象に明快な予測を導く、すぐれた理論だと思うのである。
さて、本書を読み終えて気づくのは、本書の構成もまた「スモールワールド」だということだ。おそらく著者は、執筆にあたって明確な意図をもっていたに違いない。それぞれの章は一種の「ハブ」であり、「ハブ」どうしは直列的につながれ、規則的なネットワークを作っている。そして、いくつかの「キーワード」が、「弱いリンク」として、全体をつないでいる。本書の展開が映画を見るように面白いのは、著者の巧みな描写力に加えて、離れた章の間をつなぐ「伏線」が効果的にはられているからだ。
本書の冒頭で登場する「歴史」は、そのような「伏線」のひとつである。河川ネットワークの発達過程も「歴史」だし、また経済の変動過程もしかりである。第10章には、次のような記述がある。

金や投資に関しては、歴史はまさに投機バブルが連なった長い糸と言えよう。人間の行動が他人に移りやすいことが、こうしたバブルの原動力なのだ。

共産主義」ももうひとつの「伏線」であり、ランダウソ連の秘密警察に逮捕されたエピソードなどが、効果的に使われている。最後の章の次の記述も、この「伏線」に関係している。

もし自分の友人の友人が、ある一人の指導者と面識があり、話をしたことがあるのを知っていれば、二人の間をつなぐ短い連鎖(チェーン)が存在することになる。このような連鎖は、指導者たちの意図や動機のうさんくささを減らすのに役立つ。なぜなら、「だれでも連鎖を通じて、利己主義の抑制のために影響力を行使することが可能になるからである」。

著者は、「弱い絆」に社会を良くするヒントを見出しているようだ。
社会について語るなら、いまや人間行動についての進化心理学的研究の成果をとりあげる必要がある。聡明な著者が、進化心理学の研究の展開を知らないはずはない。実際、本書の中には、進化心理学の研究への「弱いリンク」がいくつかある。このような「弱いリンク」が、次の著作への巧妙な伏線であることは疑いないだろう。
いやはや、見事である。ブキャナンの次回作が待ち遠しい。
※もうすぐ那覇空港に着陸する。ブキャナンのおかげで、機内を楽しく過ごせた。感謝!