本質ってなんだろう

夕方5時が締め切りの、K省補助金積算資料が、まだできない。しかし、7割はできたので、少し仮眠をとろう。
ところで、「本質」って何でしょう。
ばかぼん父さんは、理系白書ブログで、私に次のようにコメントされました。
『「言葉」に対するセンスでウソを見抜くという能力」とは、「ディべート戦術に対してのみ有効であって、本質に対する議論には使えない」という論旨でよろしいでしょうか?』
一方、Stephanさんは、昨日のコメントで、「何が本質的な情報なのかを、どうやって見分けたら良いか」を問題にされましたという引用をされました。
でも、「本質」があるという保証が、どこにあるのでしょうか。「本質」という概念は、私たちの思考モジュールが作り出した「情報のサマリー」ではないでしょうか。
この問題を提起する意図は、概念論争をするためではありません。言葉を使って考えている私たちは、客観的に外界を見ているつもりでいても、実は、なかば生得的な思考パターンに大きく制約されているのではないか、という可能性を考えてみるためです。
私は科学者ですから、外界を理解するために、証拠を積み上げることの重要性をいささかも軽視していません。しかし、私たちが外界を適切に理解するためには、それだけでは不足だと考えています。私たちは、私たち自身の思考モジュールや、認知パターンを、もっとよく知る必要があると思うのです。
では、おやすみなさい。