善く敗るる者は亡びず―中国人船長開放への感想

尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に衝突した中国漁船の船長が、那覇地検の判断により処分保留で釈放された。この経緯をめぐってさまざまな論評があるが、私が共感できる論評は多くない。
おそらく日中双方の政府が想定しなかった形で事態がエスカレートし、どちらかが引かなければ事態の収束がはかれない状態に至ったのだと思う。中国政府は日本がもっと早く釈放すると考えていたので、拘置延長に驚き、より強硬な対応をとることになった。日本政府も中国がここまで強硬に対抗策をとってくるとは予想していなかったので、司法判断にまかせるという態度をとった。
日本政府にとって最大の誤算は、フジタ社員4名の逮捕だろう。この逮捕が中国人船長拘置延長への対抗措置かどうかはわからないが、今後の交渉において強力なカードになることは間違いない。何しろ「軍事施設をビデオ撮影していた」という容疑なので、起訴されれば、公務執行妨害程度の軽い罪では済まないだろう。ここに至っては、邦人救出を優先させるのが、国の役割だ。国のメンツにこだわって、逮捕された社員の立場を危うくすることは避けるべきだ。したがって、フジタ社員4名逮捕のあと、すみやかに船長釈放の判断がされたことを、私は支持する。
現時点で政府が考えるべき最優先課題は、フジタ社員4名の釈放をいかに実現するかである。領有権問題は棚上げにして、まず逮捕されている日本人の釈放を要求するべきだ。中国政府としても、これ以上日中関係を冷却させることを望んでいないはずなので、関係修復のカードとして、釈放のタイミングをはかっていると思う。
今回の釈放によって、日本の弱腰外交の悪しき先例を作ったという批判がある。しかし、タカ派戦略どうしで対立するコストは大きい。対立がエスカレートを始めた時点では、すみやかにハト派戦略に転換するのが正解だ。道義的には、タカ派戦略は決して尊敬されない。今回の強硬姿勢によって、中国政府は国際社会に対して大きなコストを払っている。日本だけがコストを払っているわけではない。そこは冷静に見る必要がある。
船長釈放のニュースを聞いて、「善く敗るる者は亡びず」という格言を思い出した。中国の漢書に登場する格言で、北村薫直木賞受賞作『鷺と雪』で使われて有名になった。『鷺と雪』は、2・26事件に至る昭和初期の時代を舞台にした3部作ミステリー(ベッキーさんシリーズ)の完結編だ。上の格言は、『鷺と雪』よりも先に、第2作『玻璃の天』の第1話「幻の橋」でシリーズの結末への伏線として使われている。「幻の橋」は、
善く師する者は陳せず
善く陳する者は戦はず
善く戦ふ者は敗れず
に続く言葉を問われたベッキーさんが、「善く敗るる者は亡びず」と答えたところで終わる。
「幻の橋」では、主人公の花村英子が、次のように語るシーンもある。
「一国に絶対の大義があれば、隣の国にも別の大義が生まれるでしょう。そうなれば、人は殺し合うことになります」
これは、第二次大戦から私たちが学んだ大切な教訓だ。
一方で、あまたの戦争を繰り返し、多くの兵法書が編まれた中国には、「善く敗るる者は亡びず」という格言のように、思慮や徳を重んじる思想を生みだした歴史がある。今回の中国政府の対応だけで、中国を一面的に評価してしまうのは避けたいものだ。
今回の事件で冷却した日中関係が回復するには時間がかかるかもしれないが、いずれ善き判断が下されるだろう。
まずは、国のメンツや大義を捨てて、フジタ社員4名釈放に向けて両国政府が努力することを望みたい。