日中交流の意義
中国政府報道官のプレス発表のトーンは明らかに和らいでいる。フジタ社員4名のうち3名は釈放されたし、あと1名もおそらくASEM首脳会議期間中には釈放されるだろう。その釈放のあとで日中首相が会談し、戦略的互恵関係を再確認する方向で、水面下での調整が進んでいるものと想像する。
中国の対応に関する枝野幹事長代理の発言(中国を「あしき隣人」と呼んだ)は、信じがたい。この人はもっと思慮分別のある人だと思っていたので、がっかりした。前原外相が「私は日中間はこれから良き隣人として、戦略的互恵関係をしっかり結んで、共存共栄の道をしっかり探るべきだと思う」とフォローして事を収めたのは、結果としては中国に対するポジティブなメッセージになった。
尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件とその後の日中両政府の対応についてさまざまな論評があるが、私は以下のような議論は生産的とは思わない。
(1)過去の経緯について、ああすべきではなかった、こうすべきだったと論評するだけで、どうやって事態を解決するかについて責任ある提案をしない議論。
(2)逮捕しないか、徹底して裁くか、どちらかでなければならないという議論(これは強弁の典型で、中間に最適解がある可能性を一方的に排除している)。
(3)中国をけなすだけの議論(枝野発言など)。
名のある人物がこのような浅い議論を展開しているのを見るのは、かなり悲しい。
日中韓の互恵的協力関係を発展させることは、アジアのみならず世界の平和的発展にとって、最重要課題のひとつと言ってよい。EU統合によってヨーロッパ諸国の協力が進む一方で、日中韓の協力はまだまだ緒についたばかりだ。三国間の協力を発展させるうえでは、経済関係だけでは足りない。冬のソナタやワールドカップが日韓関係の改善に大きく貢献したように、文化・スポーツ・教育・科学などの分野での協力を発展させることがとても重要だ。
過去の歴史をひもとけば、文明の発展において、異なる伝統をもつ社会が交流することがいかに重要かがわかる。
日本の江戸時代には鎖国下で独自の文明が発展したという議論があるが、明治以後に日本が西欧文明をとりいれて成し遂げた発展に比べれば、江戸時代には鎖国ゆえに発展が制約されていたとみるほうが妥当だと思う。また、宮崎安貞の農業全書が中国の農業書に学んだものであり、里見八犬伝が水滸伝に着想を得たものであるように、鎖国下においてすら、文化の発展には他国の大きな影響があった。
明治以後これまで、日本は西欧文明を吸収することで発展してきたが、これからは独自に力をつけた中国・韓国とアイデアを交換することが、発展の原動力になると思う。