「鴨川ホルモー」−バカバカしさを究めるエネルギー

京都に滞在した週末には、ひさしぶりに鴨川べりを歩いた。出町柳の上流側ではちょうど桜が満開であり、下鴨神社の緑、鴨川のせせらぎとのコントラストが心地よかった。鴨川の水は、北山の雲が畑に発し、およそ13kmを流れて出町三角州に至る。ここで高野川と合流し、荒神橋を通って、三条へと流れる。この鴨川の流れは、京都で暮らす多くの人たちに親しまれている。天気が良ければ、「鴨川べり」と呼ばれる石積みの上の道には、人の流れが絶えない。カップルがほぼ等間隔で並んで、川面に向かって座る光景は、「鴨川べり」の風物詩である。
この「鴨川べり」で、「ホルモー」と呼ばれる競技が1000年の長きにわたりひそかに伝承されてきた。現代にこの伝承をになうのは、京大青龍会、京産大玄武組、立命館白虎隊、龍谷大フェニックス(朱雀会)の4チームである。「鴨川ホルモー」は、第500代京大青龍会に加わることになった京大生10名の青春ドラマだ。主人公は、「いか京」(いかにも京大生)のダサ男安倍くん。ヒロインは、数学を学ぶ「凡ちゃん」こと楠木さん。
鹿男あをによし」でブレイクした万城目学のデビュー作「鴨川ホルモー」は、バカバカしさをまじめに追求するエネルギッシュな青春群像を描いた快作だ。このストーリーはきっと、作者が大学生活に抱くある種の「理想」を描いたものに違いない。予期せぬ出会いを通じて展開するドラマチックな毎日、あくなきまでに目標を追及するエネルギー、個性的な人物との友情・喧嘩・恋愛、「女人禁制」の秘め事などなど、こんな大学生活を送れたらどんなに楽しいだろうと思わせるシーンが詰め込まれている。
作者がこのような「理想」像を描き出すために考え出したのが、「ホルモー」と名づけられた奇妙な競技である。この競技は10名編成の2チームで行われ、各競技者がそれぞれ100体の小さな式神(オニ)を指揮し、鬼語で指示を受けた小さなオニたちが熾烈な争いを演じる。オニは、選ばれたものにしか見えない。負けた者は、なぜか「ホルモオオオオォォォォォー」と絶叫し、その後、何か大切なものを失う。「バカバカしい」と思ったあなたは、すでに何か大切なものを失ってはいないか?
鴨川ホルモー」外伝にあたる短編集「ホルモー六景」で、バイト先の高校生が「凡ちゃん」に「楠木さんは理学部なのに見えないものを信じるんですか」というような趣旨の質問をするシーンがある。「凡ちゃん」はこう答える(手元に本がないので、記憶にたよって書いている。詳細は多少違っているだろう)。「科学者には、誰もがありえないと思うことを、あると信じて証明しようとする人がいるの。そして、みんながバカバカしいと思っていたことを、本当に証明してしまう人がいるの。そういう人たちは、見えないものを頭から馬鹿にするようなことは、しないんじゃないかな。」
バイト先の高校生に数学の面白さについて熱弁をふるい、「数学の話ならいくらでも話せるのに、どうして好きな人に好きとひとこと言えないんですか」と言われてうつむいてしまう「凡ちゃん」。「鴨川ホルモー」原作では、その「凡ちゃん」が最後のゲームで大活躍を演じる。チームは安倍くんのフェアプレーが仇となって敗れるが、物語はさわやかに終わる。
この「鴨川ホルモー」が映画化され、連休前に上映が始まる。映像化するには題材に事欠かない原作だ。原作では、オニたちへの指示は鬼語だけだが、映画では「ポーズ」が加わるようだ。「凡ちゃん」がオニを指示するために「ゲロンチョリー」とか良いながら奇妙なポーズをとっているのは、かなりおかしい。どうやら、気持ちよく笑える映画に仕上がっているようだ。原作に描かれている「まじめさ」や「爽やかさ」が映画でどこまで表現されるか、一抹の不安はあるが、楽しみである。
「凡ちゃん」を演じるのは、これまでクールな役ばかりだった栗山千明。意外なキャスティングだが、予告編を見る限り、役にはまっている。期待して良さそうだ。