科学がきらわれる理由

オーバーポスドク問題に関する長いブログ(「柳田さんへの手紙」)に対して、「熱い議論」は起きなかった。「専門馬鹿がなぜ悪い」と題してブログを書いたときとは大違いである。これは、予想どおりの結果だった。
専門馬鹿がなぜ悪い」と題したブログに始まる、長い議論から、私なりに学んだ。科学者は科学者らしく、科学の方法にもとづく問題提起をしたほうが良い。その方が、生産的で、冷静な議論ができるだろうと考えた。
私がしたことは、自然科学の初歩的な手続きを踏むことだった。

第一に、定性的な記述から定量的な記述に切り替える。
第二に、量的な過程をモデル化し、予測を行う。
第三に、これまで見落とされているポイントを考え、新たな指標・変数を付け加える。

結果として、議論は澄んだと思う。jsさんが指摘されている点をはじめ、さらに分析を精密化をする必要があるが、問題を考えていく一つの枠組みはできた。
しかし、まだ重要な仕事が残っていると思う。それは、「気持ち」の問題を考えることである。柳田さんの主張に対して、ポスドク生活でハッピーだと考える人と、不安だと考える人がいる。この違いをどう考え、意見の対立にどう対応すればよいだろうか。
この違いは、「専門馬鹿がなぜ悪い」と「柳田さんへの手紙」に対する読者の反応の違いと深く関連していると思う。この問題を考えるうえで、格好の本を思い出し、本棚からひっぱりだしてみた。

科学がきらわれる理由
ロビン・ダンバー著・松浦俊輔訳
青土社 1997 ISBN:4791755545

進化心理学の研究成果にもとづいて、社会的生活の複雑さに適応して発達したわれわれの「社会的脳」が、科学的思考を好まず、しばしば間違った判断を平気でやることを論証した本である。
たとえば、トヴェルスキーとカーネマンの「有名な」(進化心理学分野ではよく知られているが、他分野ではおそらく無名の)実験が紹介されている。彼らは、心理学実験の被験者に、感染症の流行のおそれに対して、2つの政策のどちらをとるべきかを尋ねた。
A計画を採用すれば、(600人のうち)200人が助かる。B計画を採用すれば、600人全員が助かる可能性が3分の1あるが、誰も助からない確率も残り3分の2ある。どちらをとるべきか。
この問いに対しては、72%の被験者がA計画を支持した。B計画でも平均すれば200人が助かるのだが、多くの被験者は、リスクを回避する選択をしたのである。リスク回避は、人間の心が持つ一般的な傾向である。
また、ポスドク生活に対する評価は、任期の期限が迫り、失職のリスクに直面したポスドクや、現に失職したポスドクと、着任したばかりのポスドクや、次のポストを得る見通しのあるポスドクでは、当然、違ったものになるだろう。また、リスク回避に対する志向性には、個人差があるだろう。
このような、状況の違いや個人差を無視して、「ポスドク生活はハッピー」という見方を一般化するわけにはいかない。
人間の「社会的脳」はしかし、このような科学的推論をあまり得意としていない。科学者であっても、自分の専門外のテーマ、とりわけ社会的なテーマになると、とたんにバイアスした議論に走りやすい。
オーバーポスドク問題は、少なくとも2つの問題を内包している。一つは、需要と供給のバランスの問題。もう一つは、任期つきの不安定な職に対する評価という問題である。
後者について科学的に考えるには、進化心理学の研究成果を最大限に活用すべきだと思う。
ワトソンは、「DNA](上・下:ブルーバックスISBN:4062574721ISBN:406257473X)において、進化心理学がこれからの生物学の中心的分野になるだろうという見通しを述べている。私も同意見である。しかし、わが国の科学者で、進化心理学の成果について学んでいる人はごく少ないのが現状である。
今後、生物学・医学のみならず、経済学など多くの社会科学分野に、進化心理学の考え方が浸透していくだろう。
このブログを読んで、進化心理学に関心を持たれた方は、まずはぜひ、ロビン・ダンバーの上記の本を一読されたい。目から鱗が落ちるに違いない。