ジャレッド・ダイヤモンドのインタビュー記事

今日の日経新聞に、ジャレッド・ダイヤモンドのインタビュー記事が掲載されている。

「昨日までの世界 文明の源流と人類の未来」(上下巻、日本経済新聞出版社)の邦訳出版を記念して日経新聞社が日本に招いたようだ。彼とはまだ直接話をしたことがない。一度会ってみたいものだ。九大に招へいしたら、来てくれるかな?
「多くのノーベル賞を受賞している米国は、移民が多いことがプラスに働いているといえるだろう」という主張は、あまり納得できない。研究者人口と歴史(科学研究が行われてきた年数)の効果を差し引いてもなお、移民の受賞者が多いと言えるだろうか。少なくともスイスに関してはそうとは言えないだろう。日本は戦後からスタートし、最近になってやっと欧米の水準に達した。今後、政府がよほど間違った政策をとらない限り、日本の科学はもっと伸びるだろう。「『日本は移民を受け入れるべきだ』などとたやすく言えることではない」というコメントは、もっともだ。私はもっと移民を受け入れたほうが良いと思うが、ダイヤモンドの言うとおり、「移民を受け入れた欧米では、移民に対する偏見や、移民がその社会にうまく溶け込めないなどといった問題が起こっているのも確かだ」。日本でも在日朝鮮人に対する差別が、以前はひどかった。今はずいぶん改善されたと思うが、問題は決してなくなってはいない。そういう問題をねばりづよく解決しながら、時間をかけて進めるほうがよい、とダイヤモンドは考えているようだ。この意見は冷静だ。
「牧畜社会は狩猟社会に比べ、子供をたたく文化が多い。その理由は、守るべき財産があるからだ。・・・子供の小さなミスで、全ての家畜が逃げ、全財産を失ってしまう場合がある。そのため、子供がミスをしないよう、体罰でしつけをするのだ。」という説明には納得がいった。しかし、日本は「牧畜社会」ではない。日本で体罰が多いことには、別の説明が必要だ。火の用心かな? そもそも体罰はいつごろからあるのだろう。今の体罰は、戦時中の軍隊教育に起源があるのではないだろうか。私が中学校当時、いちばん体罰を頻繁にやっていたのは、軍隊経験のある教師だった。もう、むちゃくちゃだった。体罰に効果がないことは実証ずみであり、「人類に体罰の実験は必要ない」という意見には強く同意する。
「私の人生のピークは70歳だった」という発言には、彼の精力的な活動の裏付けがあり、説得力がある。彼はいま75歳。『銃・病原体・鉄』の出版が1997年。逆算すると、59歳。ちょうど私の歳だ(5月1日で59歳になる)。『文明崩壊』の出版が2005年で、67歳のとき。
「知恵と経験を持った高齢者に働きたいだけ働いてもらう」のが良いという主張にも説得力がある。私は以前は早く引退して若い世代に道を譲るべきだと考えていたが、最近になって考えが変わった。若い世代の活躍の場を広げつつ、自分も元気に調査に出かけるという、一挙両得の道があることに気付いた。ダイヤモンドのように、「私の人生のピークは70歳だった」といえるように、体力と知力を維持したいものだ。
※学位論文、修士論文卒業論文指導という3課題はひとまず終了したが、まだ試験の採点が残っている。今日の午後に半分片づけた。明日にはこれを終えて、締め切りを過ぎた待ったなしの原稿にとりかかる。