ポンティアナにて

赤道直下のポンティアナ(Pontianak)のホテルに滞在中。明日には、マンドール(Mandor)という田舎町に移動するため、日曜日の夜までメールが見れなくなる見通し。急いでメールの返事をすべき仕事がいくつもあるが、今夜中には全部終わりそうにない。
マンドールは、ポンティアナックの海軍特別警察隊による住民の虐殺があった場所だと、こちらに来てから知った。反日の陰謀を画策した容疑で逮捕されたスルタン(王族)、医師、教師、オランダ人、華僑など47名が死刑に処せられ、さらに約2万人(インドネシア側の集計)が虐殺されたと言われている。
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一方で、1945年から49年にかけてのインドネシア独立戦争では、現地で敗戦を迎えた日本軍の兵士が、インドネシア側の武装勢力に身を投じて戦い、独立戦争の勝利に貢献したという歴史がある。

インドネシアがきわめて親日的である事情の背景には、このような歴史がある。ポンティアナ事件(マンドール事件)が大きな政治問題となっていないのも、この歴史ゆえなのだろう。
歴史に関しては、まず事実を正確に把握することが重要だ。ポンティアナ事件(マンドール事件)については、関係者の証言が得られるうちに、できるだけ正確な記録が残されることを望む。