屋久島学会設立へ
屋久島学会設立は、屋久島をフィールドにしている研究者の間で、かなり前から話題にのぼっていた計画である。地球研から京都大学に移られた湯本さんと私は、独立にこの計画を着想した。おそらく他にも、屋久島学会を設立できないかと考えた研究者はいることと思う。
その長年の計画が、ついに実現しそうだ。7月12日には、湯本さんと私の二人で屋久島町役場を訪問し、屋久島町長におめにかかって、屋久島学会設立への協力をお願いした。屋久島町長は快くこの計画に賛同された。13日には、林野庁森林管理署と、環境省自然保護官事務所を訪問して、ヤクシカ問題についての相談をするとともに、屋久島学会設立に向けての動きについても報告し、協力をお願いした。
今後、湯本さんが準備された趣意書原案を屋久島町で検討していただき、町長にも名前を連ねていただいた設立呼びかけの趣意書を関係各方面に配布し、会員を募る。また、設立準備大会を12月中旬に屋久島で開催し、参加者でどのような学会にしていくかを議論する。設立は、来年になる見通し。
屋久島学会は、研究者による研究者のためのいわゆる「学会」とは異なり、研究者・行政・島民が一緒になって屋久島について学び、考える場にしたい。これは湯本さんと私、そして、この学会設立に向けて熱意を持って行動されているヤクタネゴヨウ調査隊の手塚さんが共有する思いである。
町長との打ち合わせには、手塚さんももちろん同席された。打ち合わせの段取りをとってくださったのは手塚さんだ。また、調査ためにたまたま屋久島に滞在されていたNさん(越境汚染物質の研究者)も同席された。屋久島を訪問すると、このようにたまたま屋久島入りされている研究者に遭遇することがしばしばある。それだけ、屋久島には研究者が頻繫に出入りしている。また、屋久島をフィールドにしている研究者の多くは、手塚さんのお世話になっているので、手塚さんに連絡をとれば、誰が屋久島入りしているかわかることが多い。
思えば、私が東大の助手に職を得て、はじめて屋久島を訪問したのが1982年。その後1984年から87年にかけて、日本生命財団・日産科学振興財団の助成を得て、屋久島の固有植物について研究した。そのころに(たぶん1986年か87年に)、湯本さんは南アルプスでの送粉生物学の研究で修士論文を書いたあと、博士課程での研究フィールドとして屋久島を選び、屋久島に住み込んで調査を開始された。湯本さんはその後3年間、屋久島に住み込んで調査を続け、屋久島での送粉生物学の研究で学位を取得された。この時期に、湯本さんはオープンミュージアム構想を立案され、研究者であるだけでなく、島民のひとりとして、屋久島の自然を生かしたまちづくりに向けて、「あこんき塾」など、いくつかの活動を実行された。その中で、手塚さんと湯本さんの交流が始まり、今に至っている。
私は、1987年のプロジェクト終了後、しばらく屋久島から離れた。1994年から1997年にかけて、植物レッドデータブックを編集する過程で、ヤクシカが増えて屋久島の希少植物が減少しているという報告を受けて驚いた。その事実を現地で確認できたのが2002年。そこで危機感を募らせ、関係各方面に働きかけたものの、科学的な裏付けデータなしでは、「ほんとうに減っているのか」という素朴な疑問にすら答えられなかった。そこで、環境省の競争的資金に応募して調査資金を獲得し、2004年から2006年にかけて組織的な現地調査を行った。2004年に実施したプロジェクトの現地説明会で、手塚さんが私の意図に共鳴し、「矢原プロジェクト現地加勢人会」を作ってくださった。
現地説明会の場で、とある参加者から、「研究者は研究費のあるときだけ屋久島に来て、研究費が切れると来なくなる。あなたは何年くるのか」という質問があった。私は「研究費は3年で切れるが、ヤクシカの問題は3年では解決しない。この問題の解決のめどがたつまで、屋久島に関わり続けるつもりだ。少なくともむこう10年間は、屋久島に通う」と宣言した。あれから8年。
この8年間、湯本さんは地球研のプロジェクトリーダーとして忙しく、屋久島から離れられていた。この4月に京大に移動され、より自由度の高い職につかれた。一方で、地球研の地域環境知プロジェクト(http://www.chikyu.ac.jp/rihn/project/E-05.html)のメンバーとして、再び屋久島をフィールドにして研究する機会を得られた。
このような歴史を経て、屋久島学会がついに設立されようとしている。
研究者による研究者のための学会ではないので、違和感を持たれる方もいらっしゃるかもしれないが、屋久島をフィールドにして研究した成果は、屋久島に還元されるべきだと思う。「還元」と言えば義務的なニュアンスが漂うが、要は恩返しである。町長との打ち合わせの場で、湯本さんも私も「屋久島に恩返しがしたい」という表現を何度も使った。屋久島学会は、その役割を担うものだ。屋久島をフィールドに研究されている方々にできるだけ多く参加していただければと願っている。