総長選挙の判断材料

今日から、総長選挙の不在者投票が始まる。私は明日から週末まで北海道に出張するので、不在者投票をするつもりである。
昨日、久しぶりに出勤したところ、理学部の玄関などに置かれている総長候補の掲示板に、赤嶺候補の新しいポスターが貼り出されており、理学研究院で赤嶺候補の推薦人に署名した10名の名前が大きな字で掲示されていた。確かに私は赤嶺さんの推薦人として署名したので、掲示されたリストに間違いはない。しかし、何の連絡もないまま、名前だけ使われるのは、本意ではない。理性の府であるべき大学の総長選挙である。投票者は、自分で各候補の政策・考え・人物を評価し、自分の判断で投票する候補を決めていただきたい。
私は九大生協理事長という立場もあるので、特定の候補の選挙運動はしない。
推薦人になった理由は前々回のブログに書いた。赤嶺さんが立候補され、マニフェストを出された結果、総長選挙がオープンになった。その結果、これだけは変えてもらわなければ困ると私が考えている問題(他の大学よりはるかに厳しい人事凍結)を3候補に訴える機会が持てた。この問題はいまや、総長選挙の大きな論点になっている。どなたが総長になられても、この問題の解決に取り組まれるだろう。
また、赤嶺さんの推薦人に同意したもうひとつの理由は、6年間に学内に鬱積した閉塞感を打破してほしいと考えたことである。結果として、3候補ともに、部局長や他の教職員とのコミュニケーションを重視する方針を表明された。これで学内の風通しはかなり良くなるだろう。
このような変化を生み出したのは赤嶺さんの功績である。そして、私が推薦人になった目的は達せられたと言ってもよい。
残る私の役割は、有権者に判断材料を提供することだろう。
各候補の公約は、ウェブサイトに詳しく書かれているが、有川候補を推す勝手連のページにある「所信表明/マニフェスト対照表」には、3候補の所信表明/マニフェストの内容が対照表にまとめられており、比較するうえで便利である。
また、九大教職員組合のウェブサイトに質問状に対する3候補の回答が掲載された。6つの質問項目に対する3候補の回答は、判断材料として大いに役立つ。
九大が抱える大きな問題のひとつに、厳しい人事凍結がある。この点は、組合の質問項目の筆頭にもとりあげられている。
人事凍結につながる「三位一体の改革」を推進された柴田候補は、「三位一体の改革による人件費部局配分システムの導入により、・・・無理が顕在化し、全学的な格差が露呈し、さらなる部局人件費の削減を迫られる実態を招来させた」と書かれている。厳しい人事凍結につながる人件費部局配分システムは、矛盾を顕在化させた点では意義があったのだというお立場だと判断する。前々回のブログでとりあげた全学管理定員の増加には言及されていない。対策としては、外部資金の活用をあげられている。
一方、有川候補はポイント制だけにする(人件費に関する部局配分の縛りをはずす)ことを提案されている。昨日の掲示板に貼り出されたポスターで、赤嶺候補もこの方針を支持された。財源をどうするかという問題については、組合への回答で「部局ではなく大学全体で平坦化し、不足分は他の経費から補填する」と説明された。
赤嶺候補は、組合への回答で、総長裁量の運用定員を確保した後の人件費を部局に配分することの問題点を指摘されている。ただし、対策に関しては、「こうした問題点を解消していく方策を十分に検討」するという曖昧な表現にとどまっている。
この問題は、ポストがからむだけに、部局間の利害がからむ。総長裁量の運用定員を削るという旗を掲げれば、それで損をする部局からの反発を招くだろう。
私は人件費抑制は必要だと考えている。大学の経営資源のうち、もっとも優先的に配分すべき対象が人材であることは言うを待たない。しかし、野放図に定員・予算をばらまいては、経営的に持たないのが大学の実情でもある。
この問題への対応には、的確な判断と、実務上の「腕力」が必要とされるだろう。
的確な判断という点で、「リサーチコアやP&Pを再編整備して・・・最先端研究の萌芽につながる可能性の高い中核的研究拠点の形成を推進し」という柴田候補の方針には疑問を抱いた。萌芽的な研究の支援は重要だが、中核的研究拠点形成をめざすうえでは、それは戦略目標にならない。なぜグローバルCOEの採択数をあげるという目標を明記されないのだろう。グローバルCOEの採択数をあげるには、博士課程の大学院の再編・強化が不可欠である。過去6年間、九大はこの努力が決定的に弱かった。そのため、今年のグローバルCOE採択件数はわずか2件である。グローバルCOE採択件数は予算に直結する。また、ポスドク雇用数に大きく影響し、大学の活力を大きく左右する。
グローバルCOE採択件数をあげるには、博士課程への進学率が高く、博士課程の学生がすぐれた研究成果をあげ、海外をふくむ研究教育機関に人材を送り出しているところを組織的・集中的に支援する必要がある。
この方針は、残念ながら他の2候補の公約にも明記されていない。
有川候補は、研究活動・教育に関する公約では、大学院博士課程の強化にはふれず、社会連携の公約の中で、統合新領域学府のオートモーティブサイエンス専攻、ユーザー感性学専攻を実現します、と書かれている。オートモーティブサイエンス専攻、ユーザー感性学専攻は、確かに社会連携の方策として位置づけるなら、とても有意義だと思う。しかし、これらの専攻は、博士課程大学院生を集め、世界的な業績をあげ、国際的に活躍する人材を育てるという性格のものではない。
赤嶺候補のマニフェストにも、大学院博士課程の強化を戦略的に重視するという判断は書かれていない。
このままでは、九大は学部と修士課程を中心とする大学になっていくだろう。それもひとつの選択肢かもしれないが、それが九大の方針なら、私は九大に魅力を感じない。
私が重要だと考えているもうひとつの問題は、全学共通教育である。入学後1年目の教育は、決定的に重要である。人材育成という大学の使命を果たすうえでも、受験生や社会に対して九大から明白なメッセージを送るうえでも、1年生の教育をどうするかについて、魅力的なビジョンがほしい。
柴田候補は、グローバル化への対応を重要課題として掲げられている。これに異論はないが、1年生の大半が全学共通教育に不満を抱いている状況を改善することが優先課題だと思う。有川候補は、「気付かせる教育」という理念を掲げられている。この理念には共鳴するが、この理念が威力を発揮するのは大学院教育だろう。全学共通教育への対応策が不足していると思う。赤嶺候補は入試改革を課題に掲げられている。これも重要な課題だが、やはり全学共通教育の改革が優先課題だと思う。それはすぐに着手できて、九大の責任でやらねばならないことなのだ。
判断材料を提供しようと書き始めたが、結局不満ばかり書くことになった。最後に前向きな材料を提示してこの記事を終わろう。
赤嶺候補は、私の研究室をわざわざ訪ねられた。フットワークの軽い方である。いろいろお話を伺ったなかで、「末期の癌患者さんでも歯を治療しておいしいご飯を食べたいと切望される」という話は心に響いた。
3候補のウェブサイトを見て、ひとつだけ面白く読んだ記事があった。有川候補のウェブサイトの「教育活動面での実績」のページにある最終講義「発見科学への軌跡」配布資料である。九大を代表する業績をあげられた方だと思う。
3人の候補のポスターやウェブサイトの中で、唯一笑顔で登場されているのが柴田候補である。笑顔で接することができるかどうかは、人の上に立つうえで意外に重要なことである。
さて、みなさんはどう判断されるだろう。