西表石垣国立公園と丹後天橋立大江山国定公園

昨日は、中央環境審議会自然環境部会に出席し、表記の2つの自然公園を設ける提案についての議論に参加した。いずれの提案も承認された。その結果、従来の「西表国立公園」は、石垣島の公園区域を含む「西表石垣国立公園」に改称された。
石垣島於茂登岳・浮海於茂登岳周辺の照葉樹林帯は国立公園内の特別保護地域や特別地域に指定され、珊瑚礁が発達したいくつかの沿岸域(白保をふくむ)は国立公園内の海中公園地域に指定された。
天橋立周辺地域は、若狭湾国定公園から分離され、新たに設けられた丹後天橋立大江山国定公園に組み入れられた。里山的な景観が残る丹後半島の二次林や湿地が国定公園に設定され、タンゴグミの自生地である大江山(多くの人には鬼伝説のほうで有名)も国定公園となった。
いずれも、日本の自然公園行政にとっては大きな前進である。もちろん私は両方の提案に賛成したが、それぞれについて以下のような発言をした。
西表石垣国立公園の提案について:
(1) 石垣島於茂登岳・浮海於茂登岳周辺の照葉樹林帯は、環境省植物レッドリスト見直し調査においても、絶滅危惧植物種の分布が集中する地域であることが確認されており、国立公園地域への指定はきわめて妥当である。しかし、この地域の指定区分は、特別保護地域、第一種特別地域、第二種特別地域、第三種特別地域に分かれている。このような線引きをした根拠は何か。
(2) 提案文書には、環境省植物レッドデータブックに掲載されている絶滅危惧種が分布しているという記述がない。せっかく環境省レッドデータブックを作っているのだから、絶滅危惧種がどこにあるかという情報を公園管理に役立ててほしい。
環境省側の回答は、前者に関しては、特別保護地域に関しては動物の捕獲に規制がかかる、人工林がある地域については林業に配慮したなど、一般的な説明に留まった。会議に出席した担当者は、特別保護地域、第一種特別地域、第二種特別地域、第三種特別地域に区分した理由まで細かく承知していないようだった。その理由は、指定に向けての準備過程で、この地域の指定区分がさほど重要視されてこなかったことにあるのだろう。
察するに、石垣島の国立公園化の重点は、白保の珊瑚礁を含む海域にある。於茂登岳・浮海於茂登岳周辺の照葉樹林帯は、植物の研究者にとっては第一級の重要性を持つ地域だが、行政サイド、および地元としては、ヤエヤマヤシの林とカンヒザクラの自生地というスポットを除けば、「貴重な森が残っている」という以上の特別な認識はないのだろう。したがって、特別保護地域、第一種特別地域、第二種特別地域、第三種特別地域の区分は、生物の分布を考えたものではなく、土地の所有者(国有地か私有地か)や、利用状態(人工林かどうか)、林齢などにもとづいて、機会的に行われたものに違いない。
於茂登岳・浮海於茂登岳周辺の照葉樹林は、石垣島の陸上動植物の保全上、おそらくもっとも重要な地域である。5年後の見直しまでに、動植物の分布に関するきちんとした調査をして、その調査結果にもとづいて地域指定区分を見直すべきだろう。このような調査は、研究者サイドで積極的に計画し、推進すべきだと思う。
第2の点に関しては、野生生物課と公園課の連携がうまくとれていないために生じた問題だろう。それぞれの課のスタッフが、少ない人数で多くの業務を切り盛りしている内情を知っているので、あまり申し上げにくいのだが、もうすこしきちんと連携してほしい。石垣島の国立公園指定に役立てるので、石垣島の絶滅危惧植物の分布情報がほしいという依頼があれば、レッドリスト見直し調査の過程で得られた分布情報を提供できたのだが。
もっとも、私は環境省植物目録改訂作業の最終版をまだ提出していないので、私に依頼してもすぐには返事が戻らないと思われているのかもしれない。自分がやるべきことをやらずに文句を言うのはよろしくない。早く片付けなければ・・・。
丹後天橋立大江山国定公園について:
(1) わが国ではじめて里山的環境を自然公園に設定することの意義については他の多くの委員が指摘されたとおりである。この地域の自然環境を考えるうえで、人と自然のかかわりの歴史という視点は非常に重要であるが、人が関わる以前の自然環境と、人がかかわってきた歴史を連続した、一体のものとしてとらえる視点をぜひ持ってほしい。約2万年前まで続いた氷期には、九州南部までブナが南下し、関西には亜寒帯の針葉樹が生えていたが、若狭湾周辺にはスギをはじめとする温帯の植物が生き残っていた。その後、暖かくなるにつれて、若狭湾周辺から南に分布をひろげたことがわかっている。このような歴史の中で、タンゴグミのような固有種がこの地域に生き残ったと考えられる。氷期には朝鮮半島と九州がつながっており、大陸から日本への人間の移動があった。その後縄文時代までに、気候が温暖化し、植物の分布が変わっていくなかで、人間の自然へのかかわりが大きくなった。このように、人間が関わる前の自然と、人間が関わるようになってからの自然は歴史的に連続しており、これらを一体のものとしてとらえる視点が重要である。また、丹後半島には各地に湿地が残されており、湿地に堆積した花粉は、このような歴史を知る重要な手がかりを与えてくれる。この公園地域には、歴史を知る資源もあるという点に配慮して、公園管理を行ってほしい。
 議論が一巡し、私の発言が最後というタイミングでの発言だった。会議は予定時間をほぼ30分超過しており、私の発言中にも退席する委員がいる状況だったので、やや早口の発言となった。私の意図が各委員や行政にうまく伝わったかどうかやや不安だが、私は大事なポイントだと思っている。
この地域の自然を、人が作り出した二次的な景観だという捉え方だけで管理しようとすると、いろいろな点で困難な問題が生じてくるはずだ。公園に指定された地域だけでも相当な面積があり、これらすべてに人が関わって、里山的な管理をするのは現実的ではない。
まずは、各地に点在する湿地で花粉分析をして、この地域の植生が縄文以後にどのような変化を遂げてきたかを正確に理解する必要があるように思う。山陰から若狭湾にかけての地域は、海幸・山幸に恵まれ、海運上の利点もあり、縄文時代以来、さまざまな自然利用が行われてきた地域である。しかも、人と自然のかかわりの歴史は、それほど単純ではない。戦後、あるいは過去100年程度の歴史だけを見るだけでは、この地域の自然のあり方の理解としては不十分だと思う。過去2万年の歴史をよく知ったうえで、これからの人間と自然のかかわりのあり方を多面的に維持・創出していくことが大切だろう。
(京都にむかう途中、岡山にてアップロード)