憑神と怖い夢

「全ての人に幸せ(ツキ)を呼ぶ大型人情活劇」という宣伝を見て、つい封切り日に映画館に足を運んでしまった。結論。この映画は、ツキに見放されている人や、「憑き物」に苦しんでいるは見ないほうが良いのではないか。私は、しめきりが過ぎた仕事という「憑き物」が何体も取り付いている状態でこの映画を観たので、夜にはとんでもなく怖い夢を見て、さらに苦しくなった。
昨日は、しめきりを2つ片付け、栄転する友人の送別会で心地良く酔って、熟睡した。おかげでようやく、この映画にコメントを書く元気が出た。
憑神」は、ツキに見放された主人公(妻夫木聡)が、お稲荷さんで手を合わせたために、厄介な3体の神様にとりつかれ、踏んだり蹴ったりの人生を送るという話である。最悪の状態に陥って初めて、自分の人生を賭ける道を見出すというお話ではある。そこが良いのだという評価もあるようだが、しかし、このストーリーに拍手喝さいを送れるのは、幸せな毎日を送っている人だろう。もしあなたが、鬱屈とした毎日を送っているなら、この映画は観ないほうが良いと思う。「全ての人を幸せな気持ちにする」映画だなんていう、甘い宣伝に期待しないほうが良い。鬱々としている人がこの映画を観て、主人公の最後に自分の気持ちを重ねて、元気になれるだろうか。私の場合、限られた時間を浪費してしまったという悔いを感じて、精神的にさらに苦しくなった。
原作では、落語のような語りで、主人公と神様との掛け合いが描かれているらしい。そしておそらく、主人公が自分の人生に思いをたくし、成長していく過程での心の機微が、もっと説得力を持って描写されているのだろう。しかし、この物語の主人公を演じるには、さすがの妻夫木聡も若すぎた。演技で隠したつもりでも、人の良さそうなほがらかな素顔が表情に出てしまう。とてもツキに見放されているようには見えない。だから、自分の人生を見つめなおし、人間として成長していく過程に、あまりリアリティが感じられない。
一方で、貧乏神を演じた西田敏行は、役者が一枚、いや何枚も上手である。画面に登場しただけで、あやしくも滑稽な貧乏神に、観客の気持ちは引き込まれてしまう。動作も表情も話し方もおかしくて、とても悪い神様には見えない。しかし、主人公の頼みを聞いて籍換えをし、主人公の大切な人にたたったあとで、「ひどいじゃないか」となじる主人公に対して、「あんたに言われたくはない」と凄む場面は、心底怖かった。一瞬表情を変えただけで、これだけ違う人格、いや「神格」を演じられては、あとに続く2体の神様はやりにくかっただろう。疫病神も、元祖ちびまるこちゃんも、それぞれに個性を出していたとは思うが、西田敏行の貧乏神に比べると、どうしても影がうすい。
主人公の人間的成長にあまりリアリティが感じられなかったので、最後の展開がうすっぺらに思えた。とても主人公が救われたようには思えない。私には、最後までツキがないまま、無意味な目標に人生をかけたように思えた。だから私は、怖い夢を見ることになったのだ。
夢の中で、私は絶壁の上か、あるいはヘリコプターの中か、ともかく足をすべらせれば命はないというギリギリの場所で、這いつくばって、必死でロープを握っていた。ロープの先には、何か私にとってとても大切なものがしがみついている。それはきっと、私にとってかけがえのない人の命。ロープは、ずっしりと重い。何とか引き上げようともがくのだが、びくとも動かない。立ち上がれば、あるいは引き上げることができるかもしれない。しかし、立ち上がれば、私の体がロープの重みに引っ張られて、空に舞い、命を落とすことになりそうだ。それでも立ちあがらねばと勇気を出そうとするのだが、足がすくみ、体が動かない。次第に途切れていく意識。ふと気づくと、ロープが軽い。はっと目がさめ、ロープをたぐりあげた。やがて手元に届いたロープの先には、何もない。こみあげる激しい喪失感、罪悪感、虚脱感。私は絶叫し、塗炭の苦しみを味わいながら目覚めた。こんな怖い夢を見たのは久しぶりだ。その後、夢については考えないようにしていたのだが、今でもはっきり思い出せる。締め切りなどのストレスが、こんなにも気持ちを追い詰めていたのだと、あらためて感じ入った。
映画の最後で流れる主題歌「ごりやく」は、私には「ご利益」ではなく、「ゴリ厄」に聞こえた。少なくとも私にとっては、救いのない映画だった。