眉山(続)

良い映画だったとは思うが、時間が経つにつれ、「ある題材」をもう少し深くとりあげたほうが良かったのではないかという思いがつのる。
母(龍子)が「夢草会」に入会していることを知った娘(咲子)は、なぜそのような決意をしたのかをもっと知りたいはずだ。しかし、映画の中での咲子の反応は、あまりにも淡白である。ガンで余命幾ばくもないことを知らされたときの衝撃の方が、観るものには大きく伝わる。この点は、やや不満である。
「夢草会」入会の事実から、その理由を探るうちに、父にたどりつくという流れの方が、「ある題材」がもっと生きるし、その意味が観客に伝わると思う。
父(孝次郎)は、医者であった。しかし、映画ではこの事実が、ごくあっさりとしか描かれていない。
龍子は、限りあるとわかった自分の命を、他の命を生かす道に託した。この決断の背景には、若き医師であった孝次郎の影響が必ずあったはずだ。
私は、若かりし龍子と孝次郎の間の、「ある題材」をめぐるエピソードをいろいろに想像してみた。私は、すべてを語らずに、読者や観客の想像力に委ねる描き方が好きだ。しかし、もう少し踏み込んで描かないと、観客に「ある題材」からの深いメッセージがうまく伝わらないだろう。実際、多くの観客はこの映画を「母と娘の和解の物語」として観ているようだ。「眉山」「夢草会」「メッセージシート」でググってみると、たった3件しかヒットしなかった。
このメッセージが伝わるかどうかで、生命感あふれる阿波踊りの見え方も違ってくると思うのだが。実に、惜しい気がする。
原作ではどのように描かれているのだろう。