ゲド戦記

今日昨日は、修士論文の提出日だった。13日の金曜日に降って湧いた急務を片付けたあと、昨日から2人の修士論文の推敲に全時間を投入した。提出はいちおう済んだが、推敲はまだ続いている。幸い、2人とも良い仕事をした。データを補わずに、国際一流誌に投稿可能な水準である。もちろん、原稿はまだまだブラッシュアップが必要だが、磨けばよいだけだから、楽である。何とか年度内には投稿にこぎつけたいものだ。
ここ数日は、ブログを書く余裕すらなかった。さすがに疲れた。我ながら、頑強である。体力に感謝したい。しかし、こんな生活はどう考えても持続可能ではない。少し休養が必要だ。
さて、今日昨日の朝日新聞「ひと」欄には、「ゲド戦記」の宮崎吾朗監督が紹介されていた。顔写真ははじめて拝見した。なかなか良い表情、良い視線だと感じた。
ゲド戦記」の映画化は、二重・三重の驚きだった。まず、この作品の映画化を原作者がよく承諾したなと驚いた。頑くなに映画化を拒んでいるという噂を聞いていたからだ。第二に、宮崎駿の息子が監督をすることに驚いた。親としても息子としても、簡単に了解できるとは思えない話である。あの父親が、実力のない息子に監督をさせるわけがないし、息子としても「宮崎駿の息子」というレッテルをはられる仕事を引き受けるには、よほどの覚悟が必要だろう。親子のコンフリクトは、いったいどうやって克服されたのだろう。
そして3番目の驚きは、宮崎新監督のキャリアである。大学で森林工学を学び、建築の仕事に進んだ。これまでアニメとはまったく縁がなかった。その、ずぶの素人を口説いて「ゲド戦記」の監督をまかせたのは、ジプリの鈴木敏夫プロデューサーだという。よほど惚れ込んだに違いない。
「ゲド戦記」監督日記のサイトにある、宮崎新監督の「前口上」を読むと、彼はなかなかの人物と見た。「宮崎駿の息子」という立場への「窮屈な」こだわりが感じられない(もちろん、こだわりはある)。また、宮崎アニメの良さを引き継ぎながら、自分なりのものを作ろうという、そんな「気負い」も感じられない。自然体である。これは、良い。この状態に至るまで、いろいろな葛藤があったことだろう。
「ゲド戦記」監督日記によれば、監督を引き受けたのは、「ゲド戦記」に惚れ込んでいたためのようだ。それもまた、自然である。
自分の魔法の力をうまく操ることができない少年ゲドに共感した高校生が、アニメーションに興味を持ちながらも、「その世界に身をおいたら一生父を超えることができない」と考えて父親とは別の道に進み、やがて「ゲド戦記」に導かれるように、アニメーションの道に入ってきた。そこで再読した「ゲド戦記」に、宮崎新監督は「新鮮な発見」をした。それは、30代半ばまで、父親とは違う道を歩んだからこそできた「発見」だ。アニメ「ゲド戦記」には、高校生時代の感動と、現在の監督の「新鮮な発見」の感動が、重ねあわされるのだろう。それもまた、自然なことだ。
監督日記の中で、宮崎新監督は、「呼び出しの長」がゲドを諭して語る次の言葉を引用している。

そなた、子どもの頃は、不可能なことなどないと思っておったろうな。わしも昔はそうだった。わしらはみんなそう思っておった。だが、事実は違う。力を持ち、知識が広がっていけばいくほど、その人間の道は狭くなり、やがては何ひとつ選べるものはなくなって、ただ、しなければならないことをするようになるものなのだ

この言葉は、いまの私の思いとも重なる。しかし私はまだ、この現実と向かいあうときに、肩に力が入ってしまう。宮崎新監督は、38歳の若さで、「ある人生」ではなく、「する人生」を選択した。しかもそこに、私ほどには「気負い」が感じられない。どうすればそんなに達観できるのか。若さゆえの開き直りか、それとも内心は穏やかではないのだろうか。