根拠なく疑う態度と論理的に疑う態度の違い

MsYさま。昨日のブログに対するコメントをありがとうございました。
「ドグマ、学説、思い込みに常に疑問を投げかける精神」を教えることは、科学者を育てる教育においてのみならず、教養レベルの科学教育にも必要なことです。だからこそ、私はコラーゲンをとりあげて、根拠なく信じてはいけないこと、論理的に考えることが大切であることを教えているわけです。
「疑問を投げかける」とは、ドグマ、学説、思い込みが間違っている可能性について、論理的に考えてみることだと思います。決して、根拠なく疑うことではないはずです。飲むコラーゲンがなぜ効かないかについての説明を聞いたあとでも、「科学でわかっていないことがあるから、やはり効くかもしれない」と主張した学生がいました。私は、この学生のように、論理的に説明できないことを信じる態度は、ドグマ、学説、思い込みに疑問を投げかける態度とは別物と考えています。
私は、複製・転写・翻訳・タンパク質の高次構造と機能についての講義のあとで、プリオンをとりあげて、DNAではなくタンパク質がどうやって「増殖」し、「病原体」となることができるだろうか、という問いを学生に投げかけています。もちろん、学生の知識で答えにたどりつけるはずはないのですが、疑問を投げかけることで、少しでも自分の頭で考え、疑問を持つことの大切さ知ってほしいと願っています。
少し間を置いてから、正常型プリオンが異常型プリオンに変わる仕組みを簡単に説明し、従来の定説を覆す大発見であったことを紹介しています。
しかし、この大発見は、決して論理的に説明できないことを信じる姿勢から生まれたものではないと思います。タンパク質がコンフォメーションの変化によって異なる機能を持つこと、タンパク質どうしの相互作用によってコンフォメーションの変化が生じえることなど、従来の生化学の知識を動員して、従来見落とされていた、一見信じがたい可能性が、論理的にはありえることを見抜いた洞察力こそ、プリオン発見の駆動力だったのではないでしょうか。
論理的根拠なく信じる態度と、論理的に疑問を抱く態度は、別物だと思うのですが、いかがでしょうか。