教養教育の行方
昨日書いたブログを、全学共通教育改革の作業委員の方にお知らせした結果、丁寧な返事が届いた。その結果、どのような議論を経て、どのような改革案がまとまったかについて、およその理解ができたように思う。まずは、丁寧な返事を下さった委員の方に感謝したい。
今回の改革案は、全学共通教育のコア科目について、「担当教員によって、教育目標、内容等がまったくばらばらである」ことが最大の問題点であるという現状認識にもとづいている。この点は、問題でないとは言わないが、私は最大の問題点とは思わない。
全学共通教育のコア科目の最大の問題点は、学生にあまりアピールしていないことだ。かりに、担当教員によって、教育目標、内容等がまったくばらばらであったとしても、どの講義を聴いても面白くてためになるという状況なら、事態は悪くない。逆に、担当教員の間で、教育目標、内容等が標準化されたとしても、どの講義も等しくつまらないということになれば、事態は最悪である。
議論の過程で、理系の教員は「定まった内容をきちんと教えたい」と主張し、コア科目は「専攻教育の準備ではない」と考えて、学際的内容を指向する文系教員との間で意見が分かれたそうだ。このため、「定まった内容をきちんと教え」る科目である、「文系コア」「理系コア」と、「定まった内容をきちんと教えることを目的としない」科目である、「共通コア」が設定されたようだ。
この整理は、合理性があるだろう。問題は、「共通コア」をどれだけ面白くできるかだと思う。
「定まった内容をきちんと教える」科目については、教科書を作って、きちんと反復学習をさせれば良い。極論すれば、自動車学校の講義のようなものだ。反復学習は必ずしも面白くないが、知識を体系的に習得するためには、必要である。もちろん、自動車学校の講義とちがって、より深い理解への探究心を引き出す技術が求められるが、まずは学生に標準的な内容をしっかり理解させることが優先課題となる。
一方の「共通コア」は、そうはいかない。私は、「共通コア」こそ、大学の教養教育の真髄だと思うのだが、さて、いったいどうするのか。
この課題には、担当教員問題がからんでいる。「(残念ながら)一般に教員の意識が必ずしも高くない共通教育に関して、どのような教育担当態勢が、実質的でかつ公平なのかにつ いて、現在議論が重ねられています。単純な部局割当方式を主張される方もおられますが、個人的には、強制ではまともな共通教育が保証される可能性は低いとも思われます。」という意見をいただいたが、まったく同感である。
理系の学部の教官は、全学共通教育には、ほとんど関心がないのが実状だ。しかし、文系だけで「人間性」についての講義を組みたてるわけにはいかない。
昨日のブログで、全学共通科目「人間性」についての試案を提示したが、このような授業を行う教官への報奨システムを作って、文理をまたぐ共通教育へのインセンティブをつくる必要があると思う。
私の試案に対して、ガンジーさんやsivadさんから高い評価をいただいたが、とりあげている本はいずれも有名なものばかりであり、少し本好きの教官なら、誰もが読んでいておかしくない。私の提案にオリジナリティがあるとすれば、文理をまたぐ組み立て方だろう。
学生に、文系と理系の両方の科目をとるように薦めるなら、まず教官が両方をつないで見せる必要がある。このような努力が報いられる環境があれば、両方をつなぐポテンシャルを持つ教官はたくさんいると思う。
教養部という組織を再建することは現実的ではないが、文理をこえて広く学生をinspireできる教官群を作り出すことは、大学教育の改革にとって肝心要の課題だと思う。