今津干潟の総合研究

九大新キャンパスのすぐそばに、今津干潟という河口干潟がある。毎年冬には、クロツラヘラサギなどの希少な渡り鳥が渡来するので、バードウォッチャーには有名な場所である。鳥以外にも、カブトガニ絶滅危惧種の貝類が棲息している。全国的に見て、貴重な干潟である。
そのすぐそばに九大が移転する。移転にともなう周辺環境の変化で、干潟の環境が悪化することは避けたい。むしろ、九大が移転した結果、干潟の環境が良くなったといわれるようにしたい。
この思いから、P&P(学内科研費のようなもの)『生物保全と進化に関する研究拠点形成』では、今津干潟をフィールドのひとつにとりあげて、理学・農学・工学系の研究者の共同研究を実施している。昨年6月には第1回の合同調査を実施し、干潟内の同じ調査地点で、底生生物の定量安定同位体比分析・底質の物理化学的分析など、多方面の分析に用いる試料を体系的に採集した。
この研究チームの研究会を火曜日に開催し、昨年1年間の研究成果をもちよって議論した。
底生生物に関しては、豊富なゴカイ類の棲息が確認されたが、種の同定が容易ではない。ヨコエビ類にいたっては、分類できる人がいないそうだ。干潟の生物調査は各地で行なわれているので、分類学的研究がもうすこし進んでいるものと思っていた。実状は、ゴカイ類の分類すら、問題が山積しているようだ。きちんと標本を残し、標本と対応させて画像とDNA配列のデータベースをつくるという地道な作業を、進める必要がある。
魚類に関してはエドハぜ・チクゼンハゼ・タビラクチなど、貝類に関してはイチョウシラトリ・イボウミニナなどの絶滅危惧種が確認された。
絶滅危惧種が集中しているのは、低潮域から高潮域への勾配が残されている場所である。多くの場所では、垂直の護岸によって、環境の勾配が消失している。このような場所に養砂をして、干潟の環境を改善する可能性について、議論になった。
安定同位体比を使った分析結果によれば、魚類・ゴカイ類・ウミニナ類がほぼ同じレベルの窒素同位体比を示した。これらの栄養段階が同じとは考えにくいので、調査地間で(たとえばヨシ原と泥干潟の間で)、一次生産者の窒素同位体比に変異があるのだろう。珪藻などの一次生産者の同位体比を調べるのがこれからの課題である。
地図や航空写真、聞き取りにより、河口の形状がどのように変化したかを調べてみると、1947年に今津橋が建設された時点で、河口が狭隘化していることがわかった。この狭隘化がない場合と、現状とで、干潟域の水の流れをシミュレーションしてみると、確かに河口域の流れに変化が生じていることがわかった。また、昭和28年に大きな洪水があり、多量の土砂が運び込まれて、河口域の藻場が埋没し、消失したそうだ。干潟環境は、100年に一度といった規模のカタストロフによって、大きく変化するのかもしれない。
現状では、河口域の掃流力は非常に弱く、掃流力と河床の粒径の間には、相関が見られない。この状況は、上流のダムと、農業用の水利用によって生じていると思われる。地元の方のお話では、ダムができてから、細かな泥がたまって、干潟の奥まで歩いていけなくなったという。
瑞梅寺川など、今津干潟に流入する河川全域の水収支と流量変動についてのシミュレーションが進行中だが、実測値が少ない(とくに雨天時のデータがない)ために、まだ正確な評価ができない。栄養塩負荷や、SS(浮遊粒子)収支のシミュレーションに関しても、同じことが言える。
今津干潟の全体像を知るために必要なピースが、ずいぶん揃ってきたと思う。しかし、個々のピースをつなぎあわせるためには、まだまだ研究が必要だ。
第一に、干潟内の流量・底質環境と底生生物の分布の関係について、もっと精度の高い分析が必要だ。一次生産者の安定同位体比が干潟内で変異しているとすれば、この変異をもたらしている要因の分析も必要だ。1年後には、これらの関係がもっとよくわかるようになっているだろう。
第二に、雨天時の河川動態について、もっとデータが必要だ。また、台風などによってとくに水量が増したときの効果が、実は重要かもしれない。このような変動を考慮したうえで、干潟内の環境の違いがどのように作られ、どのように維持されているかを明らかにする必要がある。
干潟研究は各地で行なわれているが、生物の分布調査・安定同位体比による生態系の評価・河川工学的分析を総合した本格的研究は、実は少ない。
このような本格的な研究をめざして、1年目は、良いスタートを切れたと思う。今年度の目標も明確になった。6月7-9日には、今年度の合同調査を実施し、さらなるレベルアップをめざす計画である。