生物多様性維持の精神

指針案に関する文章の修正を終了した。ふう、ふう。委員長に一任された項目「自然の遷移をどの程度止めるべきかを検討する」を新たに書き加えた。里山の遷移をとめて維持・管理するか、より原生的な状態に遷移させるかは、価値観の問題だと書いた。物議をかもすかもしれないが、最終的には明快な結論に到達すると思う。

折りしも、今日の毎日新聞「時代の風」欄では、米本昌平さんが、「生物多様性維持の精神 欲望と感性の対峙」と題する論説を書かれている。遺伝子組み換え生物への規制の厳格さに比べ、「ブラックバスの放流や、外国産昆虫の野生化という、生物丸ごとのDNAを日本の野に放してしまうことが、いかに暴力的であり、われわれがこれに対する不感症に陥っているかを自覚すべきである」という意見には全面的に賛成だ。米本さんは、この意見のあとで、彼の論説を次のように結んでいる。

生物多様性を維持しようとする決意は時代の精神である。だがそれは、ある種の欲望と、生物的自然に目覚めた眼差しとが、対峙することである。ひどく判りやすい金銭的利益に向かいあうためにも、共通の感性を共通価値にまで昇華させ表現することを迫られている。それはまぎれもない21世紀における政治の一つの型である。」

このような論説が、大手の新聞の朝刊に7段組みの記事として掲載されることには、深い感慨を感じる。1989年に植物レッドデータブックを出したときには、新聞はまったく書いてくれなかった。

米本さんの記事は、価値観の問題を正面に据えている点で、とても良いと思う。生物多様性の問題は、すぐれて倫理学的な問題なのだ。米本さんの言う「生物多様性維持の精神」は、自然愛という人間の特質を軸に、地域ナショナリズム的な傾向と、博愛主義的な傾向とをバランスさせる、微妙だが普遍性を持ちえる価値観だと思う。

さて、まだ実は、「付録」が残っている。今日も、もうすぐ、0時をまわる。