佐藤俊彦さん

北海道立林業試験場佐藤俊彦さんが、2002年になくなられていたことを、昨日になって知った。佐藤さんは、数ヶ月、私の研究室に内地研修にこられたことがある。すでにそのとき、白血病で自分の命が長くはないことを、ご存知だったのだ。私は何も知らず、今から思えば不十分きわまりない指導しかしてあげられなかった。佐藤さんが研究されていたハウチワカエデには、雄花と雌花があるが、株によって雄花が先に咲くか、雌花が先に咲くかが違う。雌雄異熟二型(heterodichogamy)と呼ばれる性質で、佐藤さんはハウチワカエデのこの性質を研究し、生態学のトップジャーナルである Ecology に次の論文を発表されている。

Sato (2002) Phenology of sex expression and gender variation in a heterodichogamous maple, Acer japonium. Ecology 83(5):1226--.

これが、佐藤さんの最後の論文になってしまった。

内地研修生として、私の研究室では、雄性先熟株と雌性先熟株で、自家受精率が違うかどうかを、アロザイムを使って調べる仕事をされた。ハウチワカエデの芽生えを使ってアロザイムを調べる仕事は、以前にも手がけたことがあり、私としては、今回はうまくいくはずだと思っていた。しかし、検出できた多型の数が少なくて、はっきりとした結論が下せなかった。いくつかの酵素種のバンドの分離があまり良好でなかったので、新しい電気泳動装置を購入して、別の方法で、分析に使える多型の数を増やそうと試みたが、私自身が実験室で佐藤さんを指導できる時間がほとんどなかったために、結局うまくいかなかった。結局、この仕事は論文にならないままに、終わってしまった。

佐藤さんは、無念だったに違いない。限りある時間を使って、北海道から九州まで見えたのだ。

人の指導を引き受けることが、いかに重い仕事かを、あらためて痛感させられた。佐藤さん、ごめんなさい。

佐藤さんは、新キャンパスの森を守るボランティア活動にも参加してくださった。一緒に竹切りをして汗を流した。林床移植の試みには、とても興味を持たれていた。「北海道に戻ったら、こういう現場の仕事が本業ですから」とおっしゃっていたのが、記憶に残っている。北海道に戻られてから、新しい交流の芽が育てばと願っていたが、それももうかなわない。

佐藤さんの冥福を祈る。