オーバー・ポスドク問題

理系白書ブログ5月4日の記事に対して、次のようなコメントをした。

次期の科学技術基本計画では、増産したポスドクへの対応策は盛り込まれるのでしょうか。理系の大学院生の間で、「はくしが100人いるむら」が話題になっています。この状況が続けば、早晩、理系での博士課程進学率にブレーキがかかると思います。理系大学院生を指導している実感として、ここ数年で大きな変化がおきそうです。そうなれば、日本の科学を支える次世代の人材確保に支障が出るでしょう。オーバー・ポスドク問題はわが国の科学技術政策が生み出した深刻な社会問題です。ぜひ、このひずみを記事にとりあげてください。

このコメントに対して、次のようなレスポンスがあった。詳しくは、理系白書ブログ5月4日の記事のコメント欄を参照されたい。

  • 日本の大学の先生は甘い考えですねえ。そんな保護貿易みたいな研究者育成して、世界と対抗出来る学問水準維持出来るとお考えですか?(Josepoohさん)
  • 博士を取っても損するということがわかっているから、利口な人は学部卒で一流企業や官庁に就職する。日本の産業の成熟度を考えれば、アメリカのように、これからは院生の多くが留学生となるはずであり、実際、有名国立大学などではそうなっている。(スーパーTS さん)
  • 空飛ぶ教授さんが期待する対応策というのは,つまりニート対策のようなものですか?厳しいようですが,国にそれを期待する前に,ポスドク本人や教官がやるべきことはありませんか?(メイデーさん)
  • なんとなく博士課程に進んでしまったのであれば学生側に問題があるでしょうが、博士号取得者に対しての評価が低い社会の問題もあるのではないでしょうか。(starcomさん)

「オーバー・ポスドク問題に対策が必要である」という基本線での合意すら、容易ではない状況であることが伺いしれる。この問題について、他の方々、とくに大学院生やポスドクのみなさんの意見を聞いてみたい。

オーバー・ポスドク問題についての情報

文部科学省の調査によれば、2004年度のポスドクは1万2500人に達したそうだ。2003年度は約1万200人だったので、1年間で約2300人も増えていることになる。年齢別では約8%が40歳以上で“高齢化”が進んでいる。
「寄生虫ひとりがたり」5月2日の記事で知った。
オーバー・ポスドク問題の深刻化は「ポストドクター等1万人支援計画」がスタートした時点で、予見されたことである。この問題については、文部科学省の「科学技術・学術審議会人材委員会」というところで議論された経緯がある。平成14年12月4日に開かれた第13回議事概要が今でもネットで見れる。
この計画の背景には、ゲノムプロジェクトやタンパク質3000などの国家プロジェクト推進のために研究者が必要だが、新たなポストは増やせないという事情があった。プロジェクトの担い手を確保するには、ポスドクに頼る以外に道はなかったのである。この事情については、2002年のNatureの記事ですでに喝破されている。

オーバー・ポスドク問題についての情報(続)

青木太一さんが紹介してくださったブログ「博士が100人いるむらのオチはマジなのか?」には、「博士が100人いるむら」のソースデータと思われる統計や、文部科学省の報告書「博士課程修了者の就業構造に関する日米比較の試み」など、有益な情報源へのリンクがあって、役に立ちます。ご紹介いただき、ありがとうございました。
統計上の「不明」がかりに「自殺」だとしても、自殺率がポスドクで高いかどうかは、他の職種や年齢層と比較しなければ結論できないという指摘は、重要なポイントだと思います。このような「率」の使い方は、統計でウソをつく方法の初歩ですね。
学位取得者を増やす必要があるという結論が書かれた大学審議会答申でも、この方法が使われました。人口千人あたりの学位取得者率は、当時の日本では、欧米よりずっと少ないということが、博士号取得者を増やす必要性の論拠とされたのでした。この「人口千人あたりの学位取得者率」は、ロースクールビジネススクールなどのPh.Dも含めたものでした。理系だけなら、大学審議会答申が出た時点で、日本は欧米と肩を並べていたのです。
その後の「大学院重点化」「博士課程定員拡大」「ポストドクター等1万人支援計画」などにより、日本の理系学位取得者率は、世界でトップになったはずです。
なぜ生態学など国策に関係のない分野まで増やしたかというと、雇用形態を流動化したいという産業界の意向と、「大学院重点化」に乗り遅れたくないという大学教官側の意向が、同じ方向を向いたためでしょうね。
現在の事態を招いた大学関係者の責任は大きいと思います。「国にそれを期待する前に,ポスドク本人や教官がやるべきことはありませんか?」というメイデーさんの指摘には、反論の余地はありません。だから、この問題の解決に向けて、議論をおこそうと思うのです。