ガジュマルの木の下で

鹿児島空港で東アジア次世代リーダー招聘プログラムの参加者と別れ、福岡への便を待っている。さくらラウンジで、コペンハーゲンでの講演の準備をしていたが、眠くなってきたので、ブログを書くことにした。
昨夜は、屋久島のTさんにホテルに来ていただいて、ヤッタネ調査隊に始まり、屋久島まるごと保全協会・屋久保全協議会にいたる一連の活動を紹介していただいた。参加者にはとても好評だった。さまざまなステークホルダー(利害関係者)をNGOがコーディネートしていること、ヤクタネゴヨウの調査や大気汚染物質の観測から海岸の清掃まで幅広い活動をしていることが、参加者にとても強い印象を与えたようだ。タイから参加したPさんが、ヤッタネ調査隊のロゴマークをノートに上手に模写していたのが印象に残った。
今日は西部林道から、ヤクタネゴヨウの自生地を遠めに見ていただいた。急峻な岩場に生えている様子を見て、ヤッタネ調査隊の調査がいかにチャレンジングな活動かを実感していただいた。
屋久島を訪問する前には、伊都キャンパス生物多様性保全ゾーンの見学中に、カエルの音声記録を回収に見えたKさんとお会いすることができた。百聞は一見に如かず。Kさん、Tさんに直接話を伺う機会を持てたことは、参加者にとってかけがえのない経験になったことと思う。
今日は、西部林道をまわったあと、永田浜で食事をとり、午後は志戸子のガジュマル園を訪問した。ガジュマルはアジアからの参加者には珍しくないはずなので、あまり受けないのではないかと心配したのだが、予想外の反応があった。ガジュマルはどの国でも神聖な木であり、永遠の生命が宿る木であり、さまざまに利用されている木であり、したがってとても身近な木なのである。したがって、国は違っても、共通の話題にできる。また、インドではこの木の下で結婚式をあげるとか、ベトナムでは2本の木を植えて木がからみあうと結婚できるのだといった、「お国自慢」ができる題材なのである。また、ブッダが悟りを開いたのはこの仲間の木の下で、その種類の葉はガジュマルよりも丸くて、先端が尾状に伸びていると、インドのBさんが解説してくれた。大きなガジュマルの木の下で集合写真を撮ったあと、「お国自慢」でしばらく話題がつきなかった。
ウェブで調べてみると、http://www.plantcultures.org/plants/banyan_spiritual.html に以下の解説があった。
Banyan is viewed by Hindus as the male plant to the closely related peepul or bodhi tree (Ficus religiosa). It is regarded as a sin to destroy either of these trees. It is commendable for a person to plant a young banyan close to a peepul, and this is done with a ceremony similar to that of marriage.
Banyanとはもともとはインドのnational treeであるFicus benghalensisのことだが、http://en.wikipedia.org/wiki/Banyan によれば、ガジュマル(Ficus microcarpa)も含めて、類似した性質を持つ数種を広くBanyanと呼ぶようになったそうだ。
上記の解説によれば、Banyanをオスの木、Ficus religiosaをメスの木とみなして、隣り合わせに植える習慣は、ヒンヅー教に由来するもののようだが、確かベトナムのCさんがこの習慣を紹介していた。この習慣は、宗教をこえて、東南アジア諸国に広がっているのだろう。
ブッダが悟りを開いたのはFicus religiosaの木の下である。bodhi tree(ボダイ樹)は、シナノキ科のボダイジュとは異なり、Ficus religiosaの大木で、インドに現存するそうだ(http://en.wikipedia.org/wiki/Bodhi_tree)。
Ficus religiosaについては、以下のウィキペディアの解説に詳しい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sacred_fig
日本語のサイトを探したところ、
http://aquiya.skr.jp/zukan/Ficus_religiosa.html
に詳しい解説があった。
Ficus religiosaはインドボダイジュ、Ficus benghalensisはベンガルボダイジュという和名で呼ばれている。シナノキ科のボダイジュは、インドボダイジュに葉形が似ているために、温帯域で代用品として使われたのである。
ベンガルボダイジュ、ガジュマルなどのBanyanが、アジア諸国の人たちの間で共通の話題にできる題材だと知ったことは、大きな収穫だった。
参加者は、これから水俣諫早湾を訪問して、東京に戻る。伊都キャンパスと屋久島は、前向きに学べる事例である。これに対して、水俣諫早湾は、明らかに私たちが失敗をした事例である。なぜ日本人はある地域で成功し、別の地域で失敗したのか、それをぜひ考えてみてほしい。・・・というようなコメントを残して、参加者と別れた。この質問について、私のひとつの答えも紹介したところ、韓国から参加したJさんから水俣の失敗についてより詳しく聞かれた。残念ながら、私の水俣に関する知識は不十分なので、水俣でぜひ、直接聞いてほしい、と答えた。
私自身、水俣についてもうすこし勉強する必要を感じさせられた。
講師の立場で参加したのだが、私にとっても学ぶところの多い企画だった。日本人の参加者がいなかったことが、かえすがえす残念だ。
今回の参加者が、このプログラムで育てたネットワークを今後も保ち続けて、アジアのより良い未来に貢献してくれることを心から願いたい。