博士の愛した数式

昨夜は、「博士の愛した数式」の初演を見た。名作である。寺尾聡の演技は芸術品だ。往年の宇野重吉を彷彿とさせる飄々とした演技であり、しかし宇野重吉よりも力強さを感じる。この年齢で、この作品でしか演じられない演技ではないだろうか。
主人公の「博士」(寺尾聡)は、事故による障害を背負っており、記憶が80分しかもたない。その「博士」の家に雇われた家政婦とその息子が、「博士」の無垢で純粋な生き方に接しながら、深い愛情を育くんでいく物語である。「博士」はケンブリッジ大学で学んだ数学者であり、数と数学をこよなく愛している。完全数友愛数などの美しさを通じて、心の中にある、純粋なものの美しさ、大切さを語る。「息子」には、ルートというあだ名をつける。そして、「ルートとはどんな数でもあたたかく包み込む記号だ」と語りかける。
物語は、「息子」のルートが成人し、数学の教師としてはじめて高校の教壇に立つところから始まる。成人したルート役は、吉岡秀隆。今回は新任教師役をさわやかに演じている。ルートは、数の魅力を通じて、「博士」の思い出を語っていく。原作にはない設定だというが、違った時間の流れの中で、「博士」の存在を浮かび上がらせる構成は実に巧い。素数虚数自然対数の底(e)などが次々に登場するが、「数」と「博士」への愛情をたっぷりとこめた吉岡の講義に引き込まれる。「こんな講義を聞いていたら、数学が嫌いにならなかっただろう」という感想を、キャナル掲示板で見た。ほとんどの人が同じ感想を持ったのではないか。役に立たない純粋な基礎科学の楽しさ、美しさをこれほど人間味あふれる物語にした例が他にあるだろうか。
講義の最後は、e^πi+1=0というオイラーの公式で終わる。この公式には、「博士」の人生の秘密が隠されている。それが何かは、これから見る人のためにとっておこう。
この映画の物語には、これといった見せ場はない。「博士」の家での「博士」との会話と、阪神タイガースファンの「博士」がルートに野球を教えるエピソードがあるだけである。淡々とした物語に深い感動を与えているのは、「博士」の存在そのものだ。つまり、寺尾聡の演技がこの名作を支えている。
何しろテーマは、純粋なものへの愛である。これほど演じるのに難しいテーマはないだろう。「博士」のひとことひとこと、一挙一動が感動を紡ぎだしている。
「博士」の生き方は、「ゲド戦記」のいう、「ある人生」(A life of being)そのものである。しかし、人はしばしば目標を持ち、何かを成し遂げようとする。つまり、「する人生」(A life of doing)に挑む。その結果、自分が得た力に縛られ、自由を失ってしまうと、「ゲド戦記」には書かれている。
「博士」の生き方は、実現しがたいがゆえに、多くの人の心を打つのだろう。
さて、箱崎九大前の駅についた。これから研究室に向かい、修士論文の原稿に取り組む。