2006年の抱負

新しい年が明けた。
私にとって今年は、節目の年である。九大に着任して11年あまりが経ち、定年まで約12年となった。ちょうど、折り返し点だ。ほぼ1年前に、それまでの10年間を振り返り、次の10年計画を考えた。1年経って、次の10年間にやるべきことがかなり具体的に見えてきた。
今年は4月から12月まで、サバティカルをとることが教授会で認められている。授業と会議が免除され、研究に専念できる。まずは論文執筆に専念するつもりだ。
過去5年間の英語論文数は7,4,2,3,2であり、生産力が明らかに低下している。原因ははっきりしている。自分で書く論文が減り、大学院生の業績に名前を連ねるだけになっているのである。数年前から、いくつかの新しいプロジェクトを始めた。一方で、対外的な責任も重くなってきた。その結果、自分の研究を論文にまとめる時間がとれなくなり、積み残しの仕事(成果が出ているのに、論文になっていない仕事)がたまってしまった。4月からは、これらを論文にすることを最優先する。
その前に、この1月にはまず、ポスドク・大学院生からあずかっている3編の論文を投稿し、4人の修士論文執筆をサポートしなければならない。また、博士論文提出のサポートをしなければならない。
懸案のレッドデータブック調査のニュースレター発行は、とうとう年を越してしまった。グリーンリストの最後の詰めの作業も、昨年中に片付けるはずだった。これらの積み残しは、早急に片付けたい。
九大新キャンパス生物多様性保全事業に関する本と、ダーウィン著作集の次の翻訳という宿題にも、今年こそ決着をつけよう。
今年のもうひとつの課題は、「九州大学生物生産・生物多様性研究センター」設立を実現することだ。「生物多様性研究センター」構想を実現するためのパイロット研究に学内予算をいただいて、ほぼ2年が経過した。次年度は、3年間のプロジェクトの最終年度にあたる。ぜひとも公約を果たしたい。
幸い、農学研究院の方々のご理解を得て、「生物多様性」に「生物生産」というもうひとつの課題を加え、全学的なセンターを設立できる見通しがたってきた。「生物多様性」と「生物生産」は本来、密接不可分のテーマである。これら2つの課題の研究を1つのセンターで展開することは、革新的な意義がある。
研究戦略担当の副学長からは、新センターを機能させるためには外部資金獲得が必須だから、「科学技術振興調整費・重点課題解決型研究」に応募するようにと、アドバイスを受けた。そこで、昨年12月には、「生物多様性観測手段の高度化・標準化」という研究課題で、プロジェクト案を考え、申請書の準備を始めた。ところが、12月28日に公表された公募要領では、昨年度までの公募課題リストにあった「環境保全・再生に関する研究開発・技術実証実験」が削除され、かわって「持続可能な流域圏環境管理技術の開発」が掲げられた。これは予想外だった。自然再生推進法が施行されたにもかかわらず、それを支援する研究体制は十分に整備されていない。地球環境の観測戦略の中にも生態系観測が盛り込まれた。このような時代の流れの中で、よもや「環境保全・再生」の枠が廃止されるとは思っていなかった。
「流域圏研究」は、これまで「生物多様性」研究との連携が非常に弱かった分野である。水・物質循環や、プランクトンの一次生産の研究など、システムモデルによる「水質」を評価関数とする研究が重点的に推進されてきた。これらのプロジェクトに携わり、実績をあげてきた研究者がいる分野で、私のような生物多様性分野の研究者が「持続可能な流域圏環境管理技術の開発」という研究課題にチャレンジするのは、なかなかしんどい話である。
新センター実現のために、自分の研究を犠牲にしてでもプロジェクトを組んで申請すべきか、それとも次のチャンスを待つべきか、年末から悶々としてきた。いろいろな資料に目を通しながら、「流域圏研究」の到達点と課題についてレビューしてみると、むしろ私が申請すべきタイミングなのかもしれないという気がしてきた。
「流域圏研究」は大きな成果をあげてきたが、その成果は残念ながら、流域アセスメントの現場でも、流域の環境保全や自然再生に取り組んでいる市民の活動においても、あまり役に立っていないように思う。私自身は、「流域圏研究」のメインストリームには関わってこなかったが、大規模河川工事の現場での生物多様性モニタリングや、流域の自然に関するいくつかの市民活動に関わってきた。このような現場経験を持つものが、いま必要性を感じている課題を、プロジェクト化すべき時期なのかもしれない。
重要なポイントは、流域の環境に関心のある市民が活用できる技術・インフラを開発することだと思う。流域圏の将来像を描く主体は、研究者でも行政でもない。流域で暮らす市民自身である。しかし、これまでの研究でとりあげられている「流域圏」は、市民の関心が及ぶ範囲よりもずっと大きい。
私は多摩川のすぐそばに住んでいたので、多摩川には愛着がある。しかし、荒川には、多摩川ほどの愛着はない。市民が愛着を感じられる「流域圏」とは、その程度の範囲だ。しかし、これまでの「流域圏研究」では、たとえば東京湾にそそぐ河川の流域圏全体を対象にして、水・物質循環モデルを組んできた。もちろん、このような研究は、全体像を把握するには重要だ。しかし、対象が大きすぎる研究は、市民にはピンとこない。幸いにして、この段階の研究は一巡している。首都圏や琵琶湖・淀川水系などでは、水・栄養塩の循環を記述するモデルの枠組はすでに整備されているし、各種環境要因についてのGISデータベースも整備されてきた。
これからは、より小さな空間スケール(=流域の市民が愛着を感じられる範囲)で、水・物質循環モデル、生物生産モデルと、生物多様性モデルをリンクさせ、環境保全や自然再生の目標設定に役立つ研究を展開することが大切だと思う。このステップがあってはじめて、より大きな空間スケールの将来像についてのシナリオが描ける。
このビジョンは間違っていないと思うが、問題は、小さな空間スケールのプロジェクトは、それだけでは提案のインパクトが弱いことだ。「科学技術振興調整費・重点課題解決型研究」の目的は、「国民のニーズに対応する国家的、社会的に重要な政策課題であって、単独の府省では対処が困難であり、政府として速やかに取り組むべき課題について、産学官の複数の研究機関による総合的な推進体制の下で、具体的な達成目標を設定し、研究開発を推進する」ことだと規定されている。
この要請に適合する提案のしかたは、きわめて限定される。思案の末、あるひとつの結論に到達した。これから、この方針に沿って新しいプロジェクト案を具体化し、5機関からなる研究チームを編成しようと思う。研究課題は、「流域圏における総合的な生物多様性モデルとアセスメント技術の開発」とする予定である。
環境省環境技術開発等推進費による研究「地域生態系の保全・再生に関する合意形成とそれを支えるモニタリング技術の開発」の期間がまだあと1年残っている。幸い、研究は軌道にのっており、次年度できちんとまとめができると思う。九大新キャンパス(里山)・屋久島(島嶼)・深泥池(水系)での3つのケーススタディと、各地の自然再生事業に関するレビューをもとに、「自然再生ハンドブック」を編集するのが目標だ。私が委員長をつとめる日本生態学会生態系管理専門委員会の活動とも連携したプロジェクトだ。
このプロジェクトの期間をまだ1年を残した段階で、新しいプロジェクトに着手するのは大変だが、幸いサバティカルが認められている。これまでの数倍の時間を研究に割けるだろう。
大きなプロジェクトをデザインして、組織する仕事は、研究者個人の好奇心にもとづく研究を展開するうえでは、余計な仕事である。しかし、巨額の国家資金(=国民の税金)を使って、さまざまな大型プロジェクトが展開されている時代である。「私は好きな研究をやっているだけ」といっても、国民はなかなか納得してくれないだろう。
私の研究の主軸は、好奇心にもとづく基礎研究である。科学の中でもっとも大切なものは、好奇心にもとづく基礎研究だと思っている。しかし、この基礎研究を発展させるためには、国民のニーズにも応える必要があると思う。
基礎研究の点では、今年は昼咲きのハマカンゾウと夜咲きのユウスゲの雑種第2代が開花する。「キスゲ・プロジェクト」において5年間かけて準備した研究が、やっと本格的に展開できる。楽しみである。このような基礎研究の成果を、「花の性」の続編としてまとめてみたいものだ。それが可能になるのは、数年先のことだと思うが、読み物として面白い科学研究の物語をもういちど書いてみたい。
また、10年かけてベースを築いたメキシコのステビアの研究もさらに発展させたい。欲張りではあるが、私のライフワークだ。あきらめるつもりはない。
一方で、「生物生産・生物多様性研究センター」がスタートすれば、アジアをフィールドとした研究プログラムをデザインする必要があると思う。構想はすでにある。しかし、一人でできることは限られている。
いろいろな方々の協力を得ながら、夢をひとつひとつ現実のものにしていきたい。