海外ポスドク

研究室のポスドク2名が、昨日、合衆国に向けて旅立った。これから2年間、アラスカ大学でポスドクとして研究を続ける。将来への不安もあることと思うが、良い成果をあげて、次のステップへと進んでほしいと願う。
私は後悔はしない主義だが、30台までに海外留学しなかった点は、残念に思っている。D3中退で、1月1日づけで助手として採用され、その後しばらくは、学位取得や、研究室の立ち上げに忙しかった。研究室が軌道にのり、海外に行こうと思ったときには、在外研究の若手枠では出せない年になっていた。当時の若手枠は確か、32歳までだったと思う。
そこで、合衆国東部(アパラチアなど)のヒヨドリバナ属を調べる研究計画をたてて、科研費の海外調査枠に応募した。その計画が採択されたので、オハイオ州立大学に3ヶ月間滞在した。これが私の経験の中で、もっとも長い海外滞在である。3ヶ月のうち1ヶ月は野外調査に出かけていたので、ラボで過ごしたのは実質2ヶ月程度だと思う。
当時は、海外調査といえば、東南アジアやアフリカなどが調査地に選ばれていた。植物分野で、北米をフィールドにしたのは、たぶん私が最初ではないだろうか。
こうして、短期間とはいえ、海外のラボで過ごす経験を持てたことは、とても有意義だった。その後、後輩には1年以上の海外留学を強く勧め、そのための条件整備にも多少は汗をかいてきたつもりである。
私がオハイオ州立大学に出かけたころは、成田で飛行機にのれば、日本語はまったく通じないし、日本人もほとんど見かけなかった。海外に渡るハードルは、今よりもずっと高かった。もちろん、戦後の第一世代の研究者にとっては、そのハードルはもっと高かっただろう。
今は、海外旅行ははるかに楽になった。7月にウィーンで開催された国際植物科学会議には、若手研究者が日本からたくさん参加していた。私の研究室からも、ポスドク5名、大学院生1名が参加した。四半世紀の間に、海外との「距離」は、格段に短くなった。
これから研究者をめざす若い人には、海外ポスドク経験を強く薦める。
はっきり言って、採用人事の際に、海外ポスドク経験者のほうが有利である。この傾向は現時点でも顕在化しつつあるが、今後はますます強くなるだろう。
そして何よりも、研究者として国際的に活躍したいなら、海外ポスドクの道を選ぶことは、当然の選択肢ではないだろうか。
その選択肢を考えることができなかった時代に「若手」だった者としては、今の若手研究者がうらやましい。
ところで、合衆国では、ポスドクを雇ったボスは、就職の世話をしないと、次のポスドクを雇うグラントがとれない(とりにくい?)そうだ。これはなかなか合理的な制度である。ポスドクをどれだけ次のポストに送り出したかで研究者を評価し、グラント審査において、この評価に重きを置くようにすれば、「ポスドクの使い捨て」に対する抑止力になる。
このような合衆国の制度について、もっと詳しい情報があれば、ぜひ教えてほしい。日本でのポスドクの待遇改善に役立てたい。