自民圧勝への評価再論

9月12日[徒然]自民圧勝はフリーハンドを与えすぎか?、に対して、Ostromさんから何度かコメントをいただいた。今日とどいたコメントには、次のように書かれていた。

大学教授という社会的立場にあるY先生に言動は、民間人のそれと違い、社会的に重要視されると思います。偉い人の意見なので、深く考えず、一大政党になった現状をポジティブに受け取る人間も多いだろうと考え、反対意見を出しました。

いやはや、まったくそのとおりである。読み返してみて、いささかならず、軽率だったと反省している。
「私は、どうせ自民が勝つのだから、できるだけたくさん議席をとってほしいと思っていた。そのほうが、次のステップに早く進めるだろう。」と書いてしまったが、これは明らかに軽率だった。この文章には、実は自民圧勝という結果への私のフラストレーションがこめられているのだが、深読みしない限り、それはわからない。長年使った大事な道具が壊れたときに、気持ちを静めるために、「そろそろ壊れてほしかったんだ。そのほうが、買い替えができるから」と言っているようなものなのだが、そうは読めないだろう。
政治的な問題について、個人的な感情を交えずに書くということは、実に難しいものだ。
ただし、私の中には、科学者として冷静に現状を見たいというモチベーションがある。今回の選挙結果が、単純に与党のフリーハンド拡大を意味するとは限らないという判断は、おおむね正しいと思う。自民党は古い体質を継承する一方で、変化もしている。両面を冷静に見る必要があると思う。
政党への支持や、今回の結果への賛否は、価値観にもとづくものなので、どれかが正しいというものではない。大学紛争の名残火がくすぶる中で大学生活を送ったものとして、価値観にもとづく二項対立ほどむなしいものはないと思っている。二項対立は合意形成を阻害する。多くの場合、中間に最適解があるのに、二項対立の下では、最適解の実現がきわめて困難になる。この点で、小泉首相の政治手法は、適切ではないと思う。これもまた、ひとつの価値判断ではあるのだが、「二項対立を可能な限り避ける」という考えを広い社会的合意にすることができれば、無用な揉め事が減って、ずっと暮らしやすい社会になるだろう。