遺伝子音楽と独創性

このところ、ブログを書く時間を、論文原稿修正にあてていた。間隔が空き気味だったのは、そういうわけである。
さて、理系白書ブログ(7月2日)で、元村さんが遺伝子音楽をとりあげられている。広島大両生類研究施設の三浦郁夫さんが、スーパーサイエンスハイスクールのテーマとして、オオサンショウウオのDNA配列決定を高校生に課し、単に配列を決めるだけでなく、配列を音楽にした。私にもCDが届いた。このCDが届いた届いたときには、かなり慌てた。私もこの夏に、スーパーサイエンスハイスクールの高校生を指導することになっているが、三浦さんのアイデアをこえるテーマは、なかなか思いつかない。
DNA配列を音楽になおすことが果たしてサイエンスの教育か、と異論をさしはさむ人もいるかもしれない。しかし、高校生に感動を与え、興味や好奇心を引き出す効果は、とても大きかったのではないかと思う。感動は、人間を変え、成長させる原動力である。
DNA配列を音楽になおしたパイオニアは、遺伝子重複による進化のアイデアを提唱した大野乾さん(故人)だ。以下の本に詳しい。

生命の誕生と進化
大野 乾 (著)
東京大学出版会 ; ISBN:4130601180 ; (1988/07)

この本は、発売直後に読んだが、とても示唆に富む本だった。その内容は、今でもかなり記憶している。
大野さんは、DNAの配列を、タンパク質の配列を決める暗号としてだけでなく、パリンドローム(回文構造)など、独自の「文法構造」を持つ「言語」とみなしていた。このようなDNAの「言語」を読み解く手がかりの一つとして、配列を楽譜に直すことを着想されたのだと思う。科学者仲間では、その評判はすこぶる悪かったと、上記の本に書かれている。
その理由もわからなくはない。「遺伝子の構成原理は人類の美感、言語構成まで支配した」(上記の本の第5章のタイトル)と主張されると、ふつうの生物学者なら、首をかしげるだろう。
たしか、原核生物とヒトなどの真核生物の「遺伝子音楽」を比較して、前者はバロックのようなリズムだが、後者はロマン派のリズムだというような趣旨の説明があったと思う。そのような根拠から話を展開して、「遺伝子の構成原理は人類の美感、言語構成まで支配した」という、よく言えば壮大な、しかし、とても信じがたい仮説を提唱された。「そんな馬鹿な」と私も思った。もちろん、当の大野さんは、そんな批判をまったく気にかけていなかった。大野さんは、真剣に、独創的な理論を追求されていた。
一度、大野さんと、分子進化の中立説で有名な木村資生さんが同席されたシンポジウムに出席したことがある。大野さんの講演のあとで、木村さんが、厳しい批判的コメントをされた。そのときの大野さんの返事は、「You are not a linguist; thus, you don't understand the language of DNA」(あなたは言語学者じゃないから、DNAの言語についてはわからないのだよ)というものだった。この返事を、「さすが」ととるか、「ふざけるな」ととるか、意見が分かれるところだろう。私はと言えば、ただあっけにとられた。研究者としてまだ駆け出しのころの話である。
『生命の誕生と進化』において、大野さんは遺伝子音楽について語ると同時に、科学や文化の発展のパターンについても、重要な洞察を述べられている。そのアイデアは、「一創造百盗作」という言葉に集約されている。大野さんによれば、その後の歴史を変えるような、真に創造的な革新は、めったにない。ごく少数の創造をコピーして、手を変え、品を変えて修正を加えるのが、生物進化と、科学を含む人類の文化の進歩に共通する方法である。
晩年の大野さんは、「遺伝子音楽」を手がかりに、真に創造的な発見を追及されていたのだろう。その成功の望みが薄いことは百も承知だったに違いない。凡百の者がまねのできる生き方ではない。
最近、「創造性」や「独創性」を大げさにアピールする主張が目立つ。大野さんのいう「百盗作」は、20年前にすでに顕在化していたこのような傾向への皮肉でもあった。大野さんが最初に提唱したアイデアをもとに、たくさん論文を書いた研究者に対して、「君のアイデアはもともと私が出したものだよ」と言うと、「あなたは1回しか論文に書いていない。余程自信がなかったのだろう。」と反論されたというエピソードが書かれていた(注:記憶に頼って書いているので、「」内は引用ではない)。ひとつのアイデアを出したら、手を変え、品を変えてそのアイデアを検証し、たくさん論文を書くことが、研究者として成功するうえでの常道ではある。しかし、面白さや感動をともなわない研究は、むなしい。
大野さんの「遺伝子音楽」は、科学としては成功しなかったと思うが、三浦さんの手で、すばらしい教育の題材となった。これもまた、「一創造百盗作」ではあるが、多くの人に共感を生む大きな一歩である。三浦さんの「オオサンショウウオの遺伝子音楽」に、拍手を送りたい。