オーバーポスドク問題:学位取得者の質は低下しているか?

この問題に対する現状認識は、オーバーポスドク対策について合意形成を行う上での一つのキーポイントだと思う。一若手教員さんは、母集団の増加によってトップレベルの研究能力は伸びたが、平均値は低下しているだろうというご意見。hhayakawaさんは、優秀層の数は同じか微減の状態で博士の総数が増えたので、平均値は下がっているはずというご意見。いずれの考えでも、博士課程の定員を減らす(たとえば大学院重点化以前のレベルに戻す)のが解決策ということになる。
この問題については、『オーバードクター問題』の執筆グループが行ったように、きちんと統計的な分析をして、正確な判断をする必要がある。個人の研究者の経験は限られているので、少数サンプルにもとづく統計的に有意でない傾向を有意と勘違いしがちである。また、印象や感想はしばしば少数事例の「はずれ値」に大きく影響される。人間の心理的なスケールは、必ずしも線形的(加算的)ではない。さらに、仮に一若手教員さんやhhayakawaさんの印象が支持される分野があるとしても、他の分野では傾向が異なるかもしれない。
いま私ができることは、私の経験分野の傾向が、一若手教員さんやhhayakawaさんの印象とは違うことを述べることと、「平均値の低下」についての一般的な考察を行うことである。まず後者から始めよう。
学位取得者iの質を何らかの指標ではかり、xiという得点をつけたとしよう。xiは、何らかの統計的分布に従うだろう。この分布の性質は、正規分布よりはポアソン分布に近いだろう。たとえば質を年あたりの論文発表数ではかるなら、私の分野なら1編未満という人が一番多く、1編の人が次に多く、2編、3編と論文発表数のクラスがあがるに従い、当該クラスに属す学位取得者数はぐっと少なくなるだろう。このような分布において、一若手教員さんの印象のように、トップレベルの研究能力が伸びたとすれば(ここでは、トップレベルの年あたりの論文発表数が伸びた場合とみなす)、xiの分散が増加したはずである。ポアソン分布で近似できるなら、分散が増加すれば、平均値も増加する。学位取得者iの質の平均値は増加しているはずである。
hhayakawaさんは、もっと悲観的な印象を持たれている。婉曲的な表現をされているが、xiの得点が低いクラスの学位取得者比率が増えているというお考えだと判断される。一若手教員さんも実は同じように感じられているのかもしれない。
xiの得点が低いクラスの学位取得者比率が増えれば、平均値は低下する。ただし、トップレベルの年あたりの論文発表数が伸びていれば、こちらの効果のほうが大きいかもしれない。たとえば、最低クラス比率が1割増えた場合を考えてみよう。1編×6割+2編×3割+3編×1割が、1編×7割+2編×2割+3編×1割に変化すれば、平均値は1編低下する。次に、最高クラスの1割が論文発表数を1編増やした場合を考えて見よう。1編×6割+2編×3割+4編×1割に変化すれば、平均値は1編増加する。4編が5編に増えれば、平均値はさらに1編増加する。たった1割の優秀層のアクティビティの増加が、全体の平均値を大きくひっぱりあげる効果があることがわかるだろう。
ここでは、年あたりの論文発表数という指標を使って考えたが、他の指標を使っても、ポアソン的な分布をするなら結論は変わらない。全体の平均値は、優秀層のアクティビティに大きく左右される。
上記の考察では、得点の高い層のアクティビティと、低い層のアクティビティは独立であると暗に仮定している。実際には、相互作用があるだろう。得点の低い層が増えれば、得点の高い層のアクティビティは減るだろうか。それとも、一若手教員さんの印象のように、母集団が増えれば、得点の高い層のアクティビティも増えるだろうか。
この点は、分野によって異なるかもしれない。個人的な能力が決定的に重要な理論分野なら、少数精鋭集団で切磋琢磨すれば得点分布が高いほうにシフトし、あまり論文を書かない人がチームにいると、論文を書くポテンシャルが高い人までのんびりしてしまうということは、あるかもしれない。多様なタレントによるチームワークが重要な分野では、論文を書くことにはずぼらだけども実験はうまいという人と、データ解析や論文執筆は得意だが実験は下手だという人の混成チームのほうが、全体の生産力が高まり、結果としてトップクラスのアクティビティも高まるかもしれない。この場合には、共著論文の増産によって、論文発表数得点の低い層もより高い層にシフトするので、全体の分布が高得点にシフトし、平均値をひきあげる効果が大きい。
私がこれまでに経験してきた、生態学・進化学・遺伝学・分類学といった生物学諸分野では、後者のパターンのほうが一般的であると思う。この感想に関しては、「年あたりの論文発表数」のような数値化しやすい指標については、具体的に計算して実証することができるだろう。
私が始めて合衆国にわたり、アメリカの研究室を訪問したり、学会に参加したりしたときに痛切に感じたのは、トップレベルの実力差よりも、層の厚さの違いだった。私は、すでに日本人研究者によって世界をリードする成果があげられた後の世代なので、トップレベルの実力に大きな差があるとは、当時もいまも思っていない。しかし、トップレベルの研究者の数には大きな差がある。この差を埋めるためには、トップをめざして研究する層を厚くすること以外にないと思った。新しい技術やアイデアを取り入れ、常にチャレンジを続け、そして研究成果をきちんと論文にできる研究者の層の厚さが、結果として本当のトップランナーを生み出すのだと思う。
大学院生を指導する立場になって以来、10人あまりの博士取得者を育ててきた。彼ら・彼女らのレベルは、合衆国のPh.D取得者の標準的レベルと比べても、十分に高い(ただし、英語力では負けるが)。私は余人をもって代えがたい仕事を選んでやっているので、私にとって代われるとは思わないが、私にできないことをできる能力を持っている。大学院生を指導してみて、人間の能力は多様だとつくづく思う。九大の大学院入試に合格できる学力があり、なおかつ研究をやりたいという意欲が高い学生なら、第一線の研究ができる環境で5年ほど過ごせば、私の予想をうわまわる成果を出し、国際誌に論文を書いて、博士取得者として巣立っていける。
確かに、巣立った後で、自立した研究者として自分のプロジェクトを推進していけるかどうかは、次のステップの課題である。このステップをクリアするうえで最良の方法は、良い研究環境を経験し続けることだと思う。
幸い、私と同じ世代のすぐれた研究者が、日本各地の研究室で教授となり、ポスドクに対して良い研究環境を提供してくれている。この30年間に、私が関係する分野での研究のレベルは、格段に向上したと思う。信頼できる同世代の教授が何人もいて、彼ら・彼女らの研究能力は非常に高いので、研究者の「質」の平均値を大きくひっぱりあげている。私としては、彼らのもとに、安心してポスドクを送り出せる。もちろん、海外に出ることも推奨しており、研究室で学位を取得した3名が海外でポスドクを経験し、1人は今年、国内の有力大学で定職につくことができた。
しかしながら、研究室から巣立っていったポスドクたちの前に、「オーバーポスドク問題」が立ちふさがっている。この問題は、少なくとも私が関わっている分野に関する限り、「能力も実績もありながらポストを得られない」若手研究者がたくさんいるという問題である。
この問題は、日本経済の国際競争力確保のために、科学技術に国策として巨額の投資を行い、国家的な研究プロジェクト推進のために、何千人ものポスドクを雇用しながら、定職は減らし続けるという政策に起因している。需要と供給のバランスという点でいえば、ポスドクという形での需要はあるのだ。
Nature2002年9月26日号の記事は、次のように述べている。

過去10年間に理系の博士課程への進学者数は、約9,000人だったものが22,000人を超え、2倍以上となった。(ここには医学部進学者は含まれていない。)また公的研究機関での臨時研究員(例えばポスドク研究員)、プロジェクト関連の契約研究員や任期付き採用などが大きく増え、その数は1980年代後半ではわずかであったのが、現在では10,000人を遥かに超えている。

終身雇用を保証された研究者はわずかで、任期付き採用の研究者や契約研究者が文字通り数十人規模で在籍するのが、研究所の一般的な姿となっている。理化学研究所理研)のような大規模公的研究機関では、終身雇用される研究者の数は数百人しかおらず、その数は過去10年間ほぼ横ばいであった。これに対して、さまざまな形態の任期付き雇用契約に基づいた研究者が、理研には数千人も在籍している。

このように任期付き採用形態が増えたことの主たる理由について、科学技術政策担当者は、研究者の流動性を高める必要性を挙げることが多い。しかし本当のところは、政治的理由に基づいている。公務員の削減が明確な政治目標となっているため、研究予算が急増しているにもかかわらず、研究職の公務員を増員することは適当ではないと考えられているのだ。

(以下略。ぜひ、リンクをたどって、Nature記事の全文を読んでほしい)。
いまや、国家的な研究プロジェクトはポスドクで支えられていると言っても過言ではない。彼ら・彼女らは、十分な研究能力と実績を持っている。そういう人材でなければ、国際競争の下に置かれた大きな研究プロジェクトは支えきれない。任期つきなので、実績があがらなければ別の人材に切り替えることができる。そういう環境の下で、研究を続けているのだ。
消費税が導入されたとき、国税庁の職員は大きく増員された。しかし、科学技術基本計画によって巨額の研究投資が投入されても、研究者に対する定職は増えていない。このことが大きな問題なのである。任期つきポストの下で生じるさまざまな社会的不都合についても、行政の対応は後手にまわっている。
この事態を解決するために、学会は声をあげるべきだと思う。しかし、任期制法案のときも、法人化のときにも痛感したが、大学人が声をあげるだけでは、なかなか事態は動かせない。産業界やマスコミなど、研究者以外に味方を増やしていく必要がある。「理系白書ブログ」で、新聞にとりあげてほしいと発言したのは、そういう思いからである。
もうすぐ鹿児島港に入港する。次には、対策について書きたいと思うが、出張中にたまった仕事を片付けなければならない。学生も待っているので、毎日の更新はできないかもしれない。