報道のあり方

理系白書ブログ」で、「ほりえもんのメディア論」にコメントしたところ、管理人の元村さんが、意見をとりあげてくださった。

・空飛ぶ教授さん「情報の正確さが第一。正確な一次情報をネットで得られる状況になれば、新聞はすたれる。正確さを担保できない新聞は、聴く耳を持って欲しい」
この場合の「ネット」というのはどういう発信者を想定されていますか?文脈から言えば、新聞がネットで速報するというのは含まれていませんね。では当局あるいは当事者、という意味ですか。その場合、「正確さ」とか「客観性」は誰が保証するのでしょう。やっぱり第三者の目が必要で、そうなると何らかのメディアが介在することになり、正確さや客観性を100%追求することが難しくなってしまいます。

コメント欄では字数に制限があるので、私のブログで説明をさせていただく。
まず、要約が正確ではない。私は、「情報の正確さ」と「記者の判断・意見」を対立させて、どちらかだけが大事という主張はしていない。「情報の正確さ」も「記者の判断・意見」も「第一」に重要だと思う。
「正確な一次情報をネットで得られる状況になれば、新聞はすたれる」とも言っていない。「新聞よりもネットのほうが、正確な一次情報が得やすいという状況になれば、新聞はすたれるでしょうね。」と書いた。正確な一次情報をネットで得られる状況であっても、新聞にも正確な一次情報が書かれていれば、私は新聞を読むことをやめない。新聞が正確な報道を続ける限り、新聞はすたれないと思う。
私の願いは、「新聞よりもネットのほうが、正確な一次情報が得やすいという状況になれば、新聞はすたれるでしょうね。」という発言が、「正確な一次情報をネットで得られる状況になれば、新聞はすたれる」という談話として報道されるような状況を改善してほしいということである。上記の要約は、ブログでのまとめなので、急いで書かれたことと思う。報道記事を書かれるときにはもっと正確さに気をつけられることだろう。しかし、私の経験では、インタビューを受けたとき、私の発言が本意どおりに記事になることは、めったにない。
談話を掲載するときには、発言者のコメントをできるだけ正確に伝えてほしい。そのうえで、「記者の判断・意見」を書いてほしいのだ。
これから会議なので、元村さんの質問への回答は、またのちほど。