「文系」的論理と「理系」的論理

週末は、理系白書ブログに4回もコメントしてしまった(おかげで?、日曜も終電)。
管理人のMさんが「気持ちを救う」といったことを書かれたのにコメントし、ついでに、「救い」→「宗教」→「贋科学」という連想から、「贋科学」について書いたのが、運のつき。通勤中、ノートPCが開けないときに読んでいる小説『金毘羅』(笙野頼子)の、論理的とは言えない「論理」に言及したことも、物議をかもすきっかけになった。賢明なメイデーさんから、「論理的に収まりがわるい」と指摘され、弁明しているうちに、議論はいつしか、「文系」的論理と、「理系」的論理というテーマに発展してしまった。
「文系」的○○と「理系」的○○という「分類」は、二分法の罠に陥りやすいので、注意が必要だが、字数限定のコメント欄での議論では、なかなか意を尽くせない。しかし、面白い議論だった。興味のある方は、理系白書ブログを訪問されたい(2月11日のBlogへのコメント)。
論理に文系も理系もあるか、という意見は、形式論理に関しては、正しい。しかし、私たちの判断は、多くの場合、形式論理にはもとづいていない。形式論理にもとづかずに、ウソを見抜く思考モジュールを、私たちは持っていると思う。もちろん、いつも見抜けるわけではないが。
一方で、私たちの思考モジュールには、だまされやすい弱点もあり、この弱点を利用して、巧妙にだますこともできる。二分法(AかBかと問いかけて、どちらかしか正解がないと錯覚させる論法)は、このような「だまし」の初歩的な手口だ。「だまし」の手口を知っているほど、だまされにくくなる。そういう「論理力」の鍛え方も、大事ではないかと思うのだ。
九大前についたので、今日はこれまで。この話題は、いずれ機会をみて、またとりあげます。(通勤車中にて)

大学についてから、アップロードする時間がないまま、3時半をまわってしまった。出勤後、緑地管理WG→研究室セミナー。今日はこれから、環境省に提出する「環境改善技術等推進費」の積算資料をまとめなければならない。明日がしめきりだが、明日は予定がふさがっているので、今日中に完成させねば。
不機嫌なジーン」見てる暇は、ないかぁ。

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いま、理系白書ブログを見たら、メイデーさんが、議論を「別の場所に移したほうがよいかも」と書かれていた。「文系」的論理と「理系」的論理、に関して、どなたからでもコメントがいただければ、幸いです。