「不機嫌なジーン」南原教授の間違い

不機嫌なジーン」では、「オスは自分の遺伝子を残すためにできるだけ多くのメスと交尾しようとする」という「生物学の定説」が登場する。南原教授がこの「定説」を言い訳に使ったのが、仁子の男性不信の始まりだ、という設定で、ドラマはスタートした。仁子もまた、行動学を研究する大学院生として、この「定説」の正しさを頭では理解しているのだという。それでも気持ちが揺れてしまい、「ラブコメ」が展開する。ドラマの評価は、「ばかばかしい」派と「おもろいじゃん」派に大きく分れているようだ。私は、ばかばかしいコメディは嫌いじゃないので、「おもろいじゃん」派に近いが、第3回は見損ねたし、最終的な評価はお預けにしておく。
さて、今日は上記の「定説」が必ずしも正しくないことを、書いておこう。確かに、多くの動物のオスは、発情期には、次々に発情メスに交尾を試み、交尾回数を増やすために、賢明に努力する。一方のメスは、何らかの基準でオスを選ぶ。オスは限られたメスをめぐって「競争」する性であり、メスは逆に「選ぶ」性である。そのため、オスにはメスが選ぶ基準となる美しい装飾が進化していることが多い、動物界を通じて、オスは美しく、メスは地味という傾向がある。これは、メスがオスを選ぶからだ。このような説明は、たしかに行動生態学の「定説」であり、「不機嫌なジーン」南原教授の主張は、その点では間違っていない。南原教授の間違いは、この「定説」を人間にあてはめた点にある。
人間の場合を考える前に、「定説」とはまったく逆の傾向を示す動物を紹介しよう。タツノオトシゴに近縁なヨウジウオという魚の仲間は、その代表例である。ヨウジウオでは、メスが限られたオスをめぐって競争し、オスはメスを選ぶ。結果として、オスよりもメスのほうが美しい。どのように美しいかは種によって違い、ある種では斑点模様があり、別の種ではフリルがある。いずれにせよ、「美しい」メスほど、オスにもてる。このように、オスとメスの役回りが逆転しているのは、ヨウジウオの仲間では、オスが子育てをするという習性があるからだ。ヨウジウオのオスのおなかには、育児のうと呼ばれる袋がある。まるでカンガルーのようだが、カンガルーでは育児のうがあるのはメスだ。ヨウジウオでは、オスが育児のうの中にいる稚魚に酸素を送り、子育てをする。そのため、多くの動物のオスのように、交尾が終われば次のメスを探す、というわけにはいかない。メスから卵をひとたび預かれば、稚魚が「巣立つ」までは、子育てに忙しく、他のメスを受け入れるわけにはいかない。一方のメスはといえば、卵をオスに預けてしまえば、すぐに次のオスを探す。節操なく生殖にいそしむのは、メスなのである。
このようなヨウジウオと他の多くの動物を比較すると、オス・メスのどちらが選ぶ側にまわるかは、どちらが子育てをするかに関係していることがわかるだろう。オスが子育てをする動物では、「定説」はあてはまらない。言うまでもなく、人間ではオスも子育てに参加する。人間に関しては、子育ては男性にとっても女性にとっても、時間のかかる仕事である。そのため、多くの動物のように、どちらかの性が、もう片方の性を、一方的に選ぶという傾向は、見られない。「選ぶ」という点では、オス(男性)も、メス(女性)も、互いに選んでいるようだ。しかも、「選ぶ」基準が、条件によって変わったりする。人間は、動物界ではきわめて例外的な存在であり、まったくもって不可思議な生き物なのである。