遺跡で生きのびたニホンアカガエル

竹切りのあと、久しぶりに、文系ゾーンの埋蔵文化財調査跡地に行ってみた。谷あいの水田跡地から、「大宝元年」と書かれた木簡が出た場所である。日本が律令国家として統一された年に、中央政府から、九州のこの地まで指令が届いていたことを示す発見であり、その価値の高さは、私にもわかる。

この場所では、徹底した埋蔵文化財調査が行なわれた。そのため、ここ数年間は、容易には近づけない状態だった。埋蔵文化財調査のあとは、土が埋め戻され、さらに、造成用地の竹林・樹林から作られたチップが敷かれた。もはやかつての水溜りはなく、ニホンアカガエルも姿を消した・・・とばかり思っていた。ところが、谷の上部の、古い水路に近い平坦地では、水田跡地の不透水層に支えられて水溜りができ、イノシシのぬた場もあった。そして、産卵されたばかりのニホンアカガエルの卵のうが24個確認できた。うれしい発見である。この様子なら、カスミサンショウウオも、産卵にやってくるかもしれない。

木簡のおかげで、造成計画が修正され、この谷は残ることになった。しかし、谷の上部の丘陵地は、これから文系ゾーンとして造成される。新キャンパスの造成工事は、今年、いよいよ最後の山場を迎える。動物たちにとっては、受難が続く。文系ゾーンには、まだタヌキもアナグマもいる。かれらの棲家を残しながら、文系キャンパスをつくりたいものだ。悪戦苦闘は、まだまだ続く。