イチョウの巨樹めぐり

今日は、天目山でお世話になった浙江大学のZhao Yunpengさんを案内して、福岡県内のイチョウの巨樹めぐりをした。Zhaoさんは、中国と日本のイチョウの系統関係や遺伝的変異を調べる研究を計画されている。この研究に必要なDNA抽出用に、各地の巨樹から葉を採集したのである。天然記念物に関しては、葉を数枚とるだけなら現状変更にはあたらないが、念のため事前に県の保護係の方と連絡をとり、万全を期した。また、行く先々で、神社の方などにご挨拶をして、了解をいただいたうえで葉を採集した。神宮院の今村ウメノさんからは、香春岳の植物を研究した方の昔話を聞かせていただいた。
杭州天目山の寺院参道の風景や植生が日本の山岳神社とそっくりであることは、以前に書いたとおりである。その後、仏教が日本に広まったころから江戸時代まで、仏教と神道は長い神仏習合の歴史をたどってきたことを知った。
今日の巨樹めぐりでも、その歴史を物語る場所に出逢った。
もっとも印象に残ったのは、香春岳のふもとにある神宮院
神宮院には、次のようないわれが残っている。

平安時代最澄は唐へ渡る前に、八幡大菩薩の勧めにより、香春の神に航海の無事を祈った。西暦815年に唐から帰国後、お礼のため再び香春を訪れました、寺院を建立、そこを賀春山神宮院と名づけた。

明治初期の公式には追放された「八幡大菩薩」が、ここ神宮院では生き延びて今日に至っているようだ。
唐からの帰国の後、最澄天台宗を開いたのだが、最澄が学んだ天台山は、天目山と同様に浙江省にあるのだと、Zhouさんに教えていただいた。
おそらくイチョウの渡来は、最澄空海が唐にわたった9世紀にさかのぼるのだろう。ただし、現存しているイチョウの巨樹の多くは600歳から800歳と推定されているので、最澄空海の時代よりも、もう少しあとに植えられたものだろう。最澄空海の時代には、イチョウは貴重な木だったに違いない。中国から持ち込まれた第一世代の木が実をつけて、苗が出回るようになったのは、鎌倉時代だと思われる。このころ植えられたイチョウは、現存していればほぼ800歳ということになる。
ちなみに、遠賀川の川辺にある八剱(ヤツルギ)神社の大銀杏は、樹齢1900年と伝えられているが、いくらなんでもこの数字は過大である。
八剱神社は、日本武尊と砧姫を主祭神とする由緒正しい神社であり、御神木の大銀杏は日本武尊のお手植えだと言い伝えられている。日本武尊のお手植えなら、確かに樹齢1900年でなければ辻褄があわない。
この神社は、東国征伐の帰途に崩御した日本武尊を「御館大明神」として祭ったのが起源だという。その後、祭神は「八剱大明神」と改称されたそうだ。しかし、「明神」や「権現」は仏教が広がる過程で、神仏習合の結果生まれた信仰対象とのことなので、この言い伝えが成立したのは仏教伝来以後のことに違いない。
社殿は文治元年(1185年)の造営と伝えられており、社宝として源平合戦の戦勝祈願に奉納された狛犬と随神像があるそうだ。イチョウもこのころに植えられたものだろう。
この、八剱神社の大銀杏の樹相は見事である。樹齢1900年と言われても思わず納得してしまうほど、風雪や洪水に耐えて生き延びてきた老樹の迫力が漂っている。幹周りはほぼ10m。大きさの点でも、他の巨樹の追随を許さない。実に、圧巻であった。