米原万里さん

明日の屋久島現地報告会のために、8時半に福岡を車で出て、鹿児島入りした。
ホテルについて、一風呂あびて、アンテナをチェックすると、米原万里さんの訃報が目に飛びこんだ。残念だ。
がんであることをエッセイで公表されていた。根拠のない治療法を拒みつつも、助かる道を模索されていたと思う。しかし、望みはかなわなかった。
嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、人間とその歴史に関心のある人なら、一度は読むべき本だと思う。歴史に挑んで翻弄された人たちの屈折した人生を、冷静な観察眼と、暖かいまなざしで見つめ、「同時通訳者」ならではの言葉で活写した名著である。
嘘つきアーニャの真っ赤な真実」というタイトルは、ロシア語の同時通訳者として活躍された米原さんの表現力をよくあらわしていると思う。表現に隠された深い意味を、直訳せずに簡潔な表現で、しかも即座に異なる言語に翻訳する作業は、常人のなせる技ではない。その「同時通訳」という技を生業とした米原さんの文章は、軽快だが重みがあり、しゃれているがまじめであり、何よりも人間に対する洞察に満ちていた。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」などに描かれたような人生経験を積めば、人間不信に陥いらないほうが不思議だ。しかし米原さんは、人間のふるまいがいかに虚構に満ちているかリアルに描きながらも、最後まで人間を信じていたと思う。異色のヒューマニストだった。
ガセネッタ・ダ・ジャーレというニックネームにも親しみを感じていた。同時通訳者にとって、駄洒落は天敵だという。確かにそうだろう。みんながどっと笑っているときに、なぜおかしいかを、異なる言語で簡潔に即座に説明するのは、至難の業だ。しかし、至難であるだけに、闘志がわくらしい。いつもさんざん苦しめられていても、うまく同時通訳できたときには、憎さあまって可愛さ百倍だろう。
一度おめにかかって、話をしてみたい人だった。それはもはや叶わぬが、幸いたくさんの著作が残された。まだ読んでいない本もある。全部読んでみたい。