ジェイミー・フォックスの熱演

実は、上のBlogは、キャナルシティAMC8階シネマ8のホール内で書いた。ここにいたのは、もちろん、「Ray/レイ」の初日を見るためである。レイ本人によってレイ役に決定したという Jamie Foxx の演技はすばらしかった。成功を収めるほど孤独に苦しみ、麻薬中毒者へと転落しながらも、音楽の創造に全霊を傾けた天才音楽家をこれだけ演じられる役者は、他にいないだろう。

映画のストーリーは、CNNウェブニュースによるレイのおいたちの紹介と多くの点で一致している。テイラー・ハックフォード監督は、15年間に渡ってレイとの親交を深め、綿密な取材をもとに映画のストーリーを書き上げたそうだ。映画では、レイが、幼いころに弟を死なせ、やがて失明し、盲学校でピアノの腕を磨き、シカゴでデビューし、大きな成功を収めたあと、麻薬で摘発を受け、麻薬患者の更正センターで更正を果たすまでが描かれている。レイ本人が見ることを想定して作られた映画であり、脚色はあるにせよ、壮絶な人生の真実が描かれていると思う。

レイがジョージア州で生まれたのは1930年。満州事変が起きる前の年である。当時の南部ではまだ黒人への差別がひどく、レイの家庭は、差別社会の底辺にあった。レイは7歳で失明し、15歳までに両親をなくした。これだけでも過酷な人生だ。シカゴでデビューしたのは10代で、そのころに、バンド仲間から麻薬(ヘロイン)を教わったらしい。1964年に麻薬で摘発を受けたとき、約20年間にわたって麻薬常用者であったことを認めている。長期にわたる麻薬中毒から更正する過程での苦しみは想像を絶するが、このシーンでのジェイミー・フォックスの演技はすさまじく、胸を打った。

レイは、ジュージア州での公演にあたり、黒人に対する差別席に抗議して、公演を取り消したために、ジュージア州から永久追放処分を受けた。この処分が取り消され、名誉が回復されたのは、1979年のことである。アレックス・ヘイリーの「ルーツ」がテレビでヒットしたのが1977年なので、この時期が、アメリカ社会の転換期だったのだろう。

映画の最後は、ジュージア州議会が舞台。「わが心のジョージア」(Georgia On My Mind)が、満場の拍手で州歌に制定されるシーンでは、思わず拍手したくなった。

私はとくにジャズやソウルが好きなわけではないが、"We Are the World"など何曲かは、大学時代に親しんだ。おそらく私の世代なら、誰もが一度は耳にしたはずだ。

一つの時代が終わったが、レイ・チャールズの音楽は、長く生き続けるだろう。