Flyng professor

そうやって、研究・教育以外の仕事にも、手を抜かずに対応していると、勢い、空を飛ぶことになる。九大に教授で着任する前に、岩槻さんに、「月に1回くらいは、東京に出てこんといかんでしょうかねぇ」と申し上げたら、「矢原くん、月に1回で済むと思うとんのかぁ、済まへんでぇ。」とさらりと言われた。その「予言」どおり、月に平均2回は、東京に出かける暮らしが続いている。今月は、先週も、今週も、来週も、週末は東京だ。この様子から、研究室の学生は私を「Flyng professor」と呼んでいるらしい。北白川のM上くんが岩槻さんをそう商標登録していたのなら(M中・日録・1月9日)、これは「平行進化」の結果である。とはいえ、先に命名された岩槻さんが初代で、私は2代目、というM中さんの指摘は、そのとおりだ。思えば、「月に1回で済むと思うとんのかぁ、」事件が、<蕎麦屋の“暖簾分け”あるいは芸道の“一子相伝”みたいなもん by Minaka>の儀式だったのか。蕎麦屋はもうかるし、芸道は尊敬されるが、FP道はねぇ・・・。せめて、「青の洞門」のように、いつかは報われると思いたいです。ちなみに、岩槻さんは、今は「兵庫県立 人と自然の博物館」の館長です。