全学教育科目「地球と生命」レポートから
全学教育科目「地球と生命」の採点に追われている。この講義では、授業で話した内容の中から、重要なテーマを指定して、復習を兼ねてレポートを書いてもらっている。
担当した4回の講義で毎回レポートを出したので、約120人×4回分、つまり約500枚のレポートを読む必要がある。といっても、全学教育科目用の「A4のレポート欄つき出席カード」に書いてもらっているので、500枚を読む作業は、現実的な努力の範囲内である。
少なからぬ学生が、A4半ページ分しか書いていない。せめて、裏面まで使って書いてほしいものだ。
なかには、締め切り間際(授業の1週間後)に、出席点確保のために提出したと思われる、内容に乏しいレポートがある。授業中に寝ていたのか、ほとんど授業内容を理解せずに書いているものもある。そのような場合には、50点以下の点しかつけない。
このような例外を除き、基本的には60点、70点、80点の3段階で採点する。読んでいて感心させられるほど出来のよいレポートには、90点をつける。ごく稀に、100点をつけることがある。
成績は、3回分の得点の平均をベースに、4回目のレポート点を考慮に入れて決める。4回目のレポートは、講義全体への感想を聞いているので、通常の採点になじまない部分がある。したがって、最終判断の参考資料として用いることにした。
いま、4回目のレポートを読んだところである。
いくつかのレポートから、抜書きをしてみよう。
- 「生命と生命でないものの違い」は、高校時代も授業であいまいにされていた記憶があります。私の中で結局ウイルスは半分生命であり、半分非生命であると定義しました。・・・最初の回は、「生命」と「生命でないもの」の違いを学生に問いかけて、答えもらうことから授業を始めた。両者の間に、厳格な線引きはできないことは、多くの学生に理解してもらえたようである。
- 一番印象に残ったものは、コラーゲンの話です。実は私も今からコラーゲンを飲もうと思っていたので、飲むのをやめて違うもので肌をいたわりたいと思います。・・・この学生は、「医学部保健学科」在籍者である。他にも同様な感想が多数あった。あとニ例だけあげる。
- この講義で一番印象的だったのは、「飲むコラーゲンは肌の健康には効果がない」ということである。コラーゲンは美肌効果に良い、ということで、食べるコラーゲンや飲むコラーゲンが出回っているみたいだが、高い金を出してそのような物を食べたり飲んだりしても意味がない、ということは衝撃的である。実際にコラーゲンを飲んでも、コラーゲンは体内で分解され、結局体内で作られるコラーゲンとは別物として取り込まれるわけであり、その原理を学んだことは大変知識になったと思う。(医学部保健学科)
- コラーゲンの話をはじめとして、目からウロコがボロボロ落ちました。引き出しのコンテンツがあっても、取っ手がついていなかったり、開かない引き出しなら意味がないな、と痛感しました。(薬学部総合薬学科)・・・高校で生物を履修し、タンパク質についての知識や、消化吸収についての知識を持っている学生でも、だまされている者は少なくない。知識を持っていても、知識をたばねる視点や思考力を身につけなければ、うまく活用できないのである。そのことに気付いてくれたのは、とても嬉しい。
- 最も関心を持ったのが、アセトアルデヒド脱水素酵素の話だった。先生に個人的に質問をしたが、さらに自分でも調べてみた。体内に吸収されたアルコールは「アルコール→アセトアルデヒド→酢酸→二酸化炭素と水」という経路で分解される。アセトアルデヒドは悪酔いの原因となる毒性の強い物質である。「アセトアルデヒド→酢酸」という過程でALDHがはたらく。アルコール代謝にはたらくALDHには1と2があって、酒を飲んだときには主にALDH2のほうがはたらく。しかし人類が持っているALDH2には活性型(N)と活性がない遺伝子(D)があり、日本の染色体の両方にNを持つ人は「活性型」で酒をふつうに飲める。一本の染色体にしかNを持たない人は「低活性型」で、あまりたくさん飲めない。両方の染色体にNを持っていない人は「不活性型」となり、まったく酒を飲めない。日本人全体が持っているN, Dの割合は3:1で、NN:56%, ND:38%, DD:6%となる。白人・黒人は100%活性型で、アメリカ・オーストラリア先住民などにはわずかに低・不活性型の人が存在し、日本・中国・韓国人には低・不活性型の人が多く存在する。ちなみに私はアルコールパッチテストからDDだったが、これは世界でも珍しいケースだった。・・・こうやって、自分で調べてレポートを書いてほしいものだ。そうすれば、もちろん、点数も良くなる。
- アルデヒド脱水素酵素の正常型と欠損型で、ND型の人はある種の心臓疾患にかかりにくいというのは遺伝的にかかりにくいのですか? それともある程度のお酒を飲めるがあまり多く飲めない人の酒を飲む量が体にとって良いのですか? 私は両親ともにお酒に強いのでNN型だと思うのですが、お酒の量を控えれば、その心臓疾患にかかりやすくはならないのかどうかがとても気になりました。・・・はっきりした証拠があるのは、後者である。英語だが、たとえばWhite & al (2005) の論文を読んでみよう(左の下線部をクリックすれば、ダウンロードサイトに飛べます)。英国での推奨飲酒量についても書かれていて、健康管理上の指針になるだろう。
- 人体にはタンパク質以外のものも多く含まれているはずだが、その部分はどのようにして遺伝情報に刻まれているか知りたかった。講義で読み取れたのは、塩基配列がタンパク質の構造を決定するということだけだった。・・・このように一歩踏み込んだ疑問を書いてくれると、教官としては張り合いがある。タンパク質以外のものを合成するときにも、さまざまな酵素タンパク質がはたらく。これらの酵素タンパク質の違いによって、タンパク質以外の物質の合成量は、合成の有無が決まる。
- 印象に残ったことは、優生学のことがある。遺伝と進化の原理にもとづく人類改良の営みではあるが、貧困や人種を理由として出産を制止したりするという激しい差別が行なわれていたとは驚きである。(以下、クローン人間についての考察)。・・・このテーマをとりあげたレポートは1件だけだったが、一人でもとりあげてくれた学生がいたことは、心強い。
- 最も興味を持ったのは、遺伝情報の転写と翻訳である。(中略)専門の授業の時にあいまいだったところが、この授業で分かるようになった。・・・「医学部保健学科」や「薬学部」在籍者に、このような感想が結構あった。高校で生物を履修していない学生には、医学部や薬学部の専門科目は、かなり難しいようだ。
- ライオンの子殺しの話や、クジャクの羽、シカの角の話などはおもしろかった。ライオンの話はテレビで聞いたことがあったが、後者は始めて知った。・・・性淘汰という考え方は、ほぼ全員が知らなかったようだ。もっと聞きたかったという感想がいちばん多かったテーマだ。
- 最も印象に残ったのが、「オスが群れをのっとるときに、メスが発情してくれうように、前の子をすべて殺してしまう」ということでした。人間には絶対に考えられないことだと思います。(中略)理性が備わっていることから、絶対にあり得ないでしょう。・・・気持ちはわかるが、果たしてそうだろうか。人間の戦争ほどすさまじい殺戮は、生物界では見られない。この問題は、授業中に討論したかった。
- 全体を通して、板書も見やすく、プリントもわかりやすく、学びやすい講義だった。毎回授業に集中することができ、またレポート課題などによって授業の内容をもう一度復習できたと思う。・・・内容のないレポートにこういう感想が書かれていても、信じるわけにはいかない。しかし、申し分ないレポートにこう書かれると、努力した甲斐があったと思う。さて、次のコマのレポートを読もう。
「飲むコラーゲン」は肌の健康になぜ効果がないのか?
というテーマに関して提出したもらったレポートを読んでいる。そのなかに、次のような記述が散見される。
「コラーゲンは分解されてはじめて吸収されるのであって、コラーゲンの形で吸収されることはない。しかし、コラーゲンを摂取することでコラーゲン合成の促進、それに伴って表皮のターンオーバーが活性化されるという報告もある。コラーゲンを飲むことによりコラーゲンをより多く摂取でき、健康的な皮膚を保つ美容効果があるかもしれないが、その作用機序は明らかではない。」
明らかに、どこかの健康食品メーカーのウェブサイトからコピーしてきた記述と思われる。そこで、「コラーゲン合成の促進」で検索をかけてみたら、すぐにネタがわれた。「飲むコラーゲン」を製造・販売している、とある企業のサイトに、次のような記述があった。
Q. 健康食品の「飲むコラーゲン」の効用について教えて下さい。
A. 「飲むコラーゲン」は正しくは「コラーゲンの低分子分解物」です。皮膚真皮には多くのコラーゲンが含まれており、表皮組織の構造維持に役立っています。そして、皮膚のコラーゲンを作る能力は歳をとるにつれて低下してしまいます。コラーゲンを摂取するとコラーゲン合成の促進、それに伴って表皮のターンオーバーが活性化されるという報告もあります。飲むことによりコラーゲンを多く摂取でき、健康な皮膚を保つ効果があるかもしれませんが、その作用機序は明らかではありません。
「コラーゲンの低分子分解物」は、ペプチドである。消化器官中のペプチドが、皮膚の細胞内のコラーゲン合成を促進することは、まずあり得ない話である。吸収されたペプチドが、いったいどうやって皮膚細胞までたどりつくというのだ。
上の文章は、批判されたときの防御線をはっていると思う。第一に、「摂取」という表現と「飲む」という表現をたくみに使い分けている。「摂取」が何かは特定されていないので、いかようにも言い訳できる。「摂取」は、皮膚への直接注入を意味するともとれるのだ。第二に、「飲むことにより・・・効果があるかもしれませんが・・・その作用機序は明らかではありません」と、根拠がないことを断わりつつ、効果があることを匂わせている。
歯学部のYKさん、医療の現場に出るまでには、こういう文章がインチキであることを見抜けるようになってね。