風立ちぬ

風立ちぬ」をやっと観ました。

[ネタバレ放題です。映画を観る前にストーリーを知りたくない方は読まないでください。セリフは一回観ただけの記憶にたよって書いているので、正確ではありません。]

えっ、これで終わり? そう思った人が多かったのではないか。しかし、鑑賞後に思い返してみると、この終わり方がベストに思える。

映画は、少年時代の二郎が夢の中で、飛行機を操縦して空を飛ぶシーンから始まる。この飛行機は、現実にはない夢の飛行機。いかにも宮崎アニメらしい造形だ。やがて二郎の夢は、飛行機設計技師のパイオニア、カプロ―ニ伯爵の夢につながる。二人が共有する夢世界の中で、カプロ―ニ伯爵は飛行機作りへの熱い夢を語る。夢世界に登場する夢の飛行機も、宮崎アニメならではの造形が楽しい。この夢世界で、カプロ―ニ伯爵は二郎にこう語る。技師として風に乗って力を発揮できるのは10年だと。この「10年」は、ラストで重要な意味を持つ。また、「風」という言葉は、夢世界で二人が会うたびに語られる。「やぁ、日本の少年。まだ風は吹いているかい?」

ヒロイン菜穂子と二郎を引き合わせるのも風だ。二人は、関東大震災直前に同じ列車に乗り合わせた。そこで、風に飛ばされた二郎の帽子を、菜穂子がうまくキャッチする。軽井沢で二人が再開するシーンでは、風に飛ばされた菜穂子の陽傘を、二郎がうまくキャッチする。二人の心が近づくシーンでは、二郎が作った紙飛行機を互いに飛ばしあい、キャッチしあう。宮崎駿監督がはじめて描く大人のラブストーリーは、とてもピュアで、楽しい。

一方で、関東大震災のシーンは圧倒的な迫力。さすがは宮崎アニメだ。二郎は骨折した菜穂子の付き人を背負い、被災者がごったがえす中、二人を菜穂子の家まで送り届ける。この群衆シーンも、宮崎アニメならではの動きに迫力がある。

二郎は震災後の帝大で航空工学を学び、航空機設計の秀才として、名古屋の三菱工場に職を得る。その後ドイツを視察し、最先端の飛行機技術を目の当たりにする。ドイツを目標に、進んだ技術に追いつこうとする友人に対して、二郎は独自の技術で飛行機を作ることを夢見る。三菱工場で頭角を表し、初めて設計主務として挑んだ海軍の新型機は、試験飛行で墜落。失意の二郎は、軽井沢に旅行し、そこで菜穂子と再開する。

その後は、菜穂子との結婚とゼロ戦開発という、2つの夢を追い求める二郎の物語が平行して展開するが、主旋律はラブストーリーだ。菜穂子は結核という病をかかえていた。二郎と生きるために治療に専念しようと療養所に入るが、病状は悪化し、ついに吐血する。死が避けられないことを悟った菜穂子は、名古屋の二郎をたずねる。二人はそこで結婚し、限られた時間を大切に生きる。ここでも二郎と菜穂子の葛藤はあからさまには描かれない。二人は実に淡々と運命を受け入れる。ただし、工場の上司黒川の家で、黒川夫妻を仲人に二人があげる質素な結婚式は、宮崎アニメ屈指の名シーンだ。宮崎駿監督に、大人の女性をこんなに素敵に描く力があるとは思ってなかったので、驚いた。理想化されてはいるが、生身の人間を感じさせる。二郎の妹加代も、黒川夫人も、非常にリアリティのある女性として描かれている。吾朗監督の「コクリコ坂」に触発されたのだろうか。

一方で、二郎が追い求める夢の飛行機の開発もまた、ゼロ戦という兵器として、避けがたい「死」につながっていく。やがて二郎のゼロ戦試作機が完成し、試験飛行のために工場に泊まり込まなければならなくなる。大きな仕事を完成させ、帰宅して、菜穂子のそば寝ころんで、寝てしまうのだが、これが二人の永遠の別れとなる。月並みな演出ならここで、「本当はもっと一緒に生きたかった」と涙を流すシーンを入れるところだが、そういう感傷は一切描かれない。菜穂子は笑顔で二郎を迎え、その寝顔をやさしく撫でる。

二郎が工場へと向かったその日に、菜穂子は死と向き合うために、治療所へと旅立つ。ちょうど医者となった二郎の妹が訪ねてくる日だ。「今日は気分が良いので、少し散歩してきます。部屋をちらかしたままでごめんなさい」。すっかり身支度を整えてそう挨拶する菜穂子に対し、黒川夫人はすべてを察したうえで、いつもの表情で菜穂子を送りだす。訪ねてきた二郎の妹が部屋をのぞくと、そこはすっかりきれいに片付いていた。机の上には、3通の手紙。自分にあてられた手紙を読んで、菜穂子を追おうとする二郎の妹に、黒川夫人が言うセリフが切ない。「美しい時だけを一緒にすごすためにここに来たのよ。追ってはだめ。」ここが、この映画の感情面でのクライマックスだ。

そのあとは、あっという間に終わる。菜穂子の死も、ゼロ戦の墜落も描かれない。最後のシーンは再び、二郎とカプロ―ニ伯爵の夢世界。そこに、墜落して無残な姿となったゼロ戦の墓場が登場する。「君の10年はどうだったかね」というカプロ―ニ伯爵の問いに対して、「一機も戻ってきませんでした」と力なく答える二郎。そこに、元気な姿の菜穂子が登場。風に揺れる黄色のドレスがまぶしい。「彼女はここで、ずっと君を待っていたんだ」。しかし、その再会はすぐに終わる。夢の中でも菜穂子は、風のように消えてしまうのだ。カプロ―ニ伯爵は二郎に静かに語りかける。「君はまだ生き続けなければならない。さぁ、行こう。その前に、うまいワインがあるんだ。寄っていかないかね」。これでおしまい。最後の夢世界のシーンは、一陣の風だ。菜穂子が治療所へと旅立つシーンの感動にひたっているうちに、一陣の風が吹いて、映画は終わる。その夢の中で、満面の笑顔で菜穂子が登場し、ハッピーなシーンが一瞬だけ描かれる。人生を終える前にいっぱいやらんかね、というエンディングは、大人の味だ。

そしてユーミンの「ひこうき雲」が流れる。私はユーミンのこの曲になじめずにいたのだが、映画のエンディングロールで聞くと、まさにこの映画にぴったりだ。「空にあこがれて、空をかけていく、あの子の命は、ひこうき雲」というサビのメロディは、すぐに覚えてしまった。

宮崎駿監督の、これが最後になるかもしれないこの作品は、良い意味で力の抜けた映画だ。主人公の堀越二郎は、これまでの宮崎駿作品とは異なり、淡々とした人物として描かれている。飛行機を作る夢と、兵器を作る現実の間の大きな矛盾を抱えながら生きているはずだが、二郎の葛藤は直接的には描かれていない。この矛盾については、二郎の心理としてではなく、二郎が作った飛行機の美しさと、その残骸の醜さという現実によって描かれている。一方で、二郎と菜穂子が紙飛行機を飛ばしあうシーンは、はらはらさせる動きもあって、とても楽しい。二回もあるキスシーンを含めて、宮崎駿監督はいつもの照れをすっかり忘れて、ピュアな大人のラブストーリーを生き生きと描いた。宮崎駿監督にも、こんな日があったのかな。二郎には明らかに宮崎駿監督自身が投影されている。それゆえに、等身大の人物として、肩肘はらずに描けたのだろう。

吾朗監督の作品のような、未熟さや迷いや粗さは、微塵もない。そこが私には物足りなくもあるのだが、宮崎駿監督の円熟した技で作られた、傑作だ。胸をわしづかみされるような熱い映画ではなく、淡々とした描写の中で、二郎と菜穂子の人生がしっとりと胸を打つ映画。観終わったあとは、「え、これで終わり?」と思っても、いろいろなシーンを回想しているうちに、ああ、良い映画を見たなとしみじみと思える作品だ。

観客にはカップルが多かった。映画のあとで、ワインを飲みがら感想を語り合うのもいいかもしれない。

二郎と菜穂子に次いで重要な登場人物は、カプロ―ニ伯爵。その声を演じた野村萬歳がすばらしい。いつもの伸びのある声ではなく、密度の高い、経験の詰まった声。夢を追う人生の先輩、飛行機設計のパイオニアとして、二郎を導く役にぴったりの声だ。考えてみると、狂言師は声優でもあるのだと納得した。庵野秀明による二郎の声も、朴訥としていて、二郎の人物によく合っていた。