屋久島南部の豊かな林床植生の終焉

4月22日の記事(http://d.hatena.ne.jp/yahara/20120422)で、ツルランの大群落が消失したことを書いた。10月7日には、この群落があった斜面に2004年に設置した6m×30mの調査区(3m×3mの方形区20個)の再調査を行った。ツルランだけでなく、ユウコクラン、ヤクシマアカシュスラン、ノシラン、アオノクマタケラン、フウトウカズラ、リュウビンタイ、ヒロハノコギリシダ、シマシロヤマシダ、ニセコクモウクジャクなど多くの林床植物種が、完全消失またはほぼ消失していた。かつての記録が残っているので何が消えたかを正確に言える。
この調査のあと、尾の間歩道をさらにのぼり、蛇の口滝への分岐付近に設置したもうひとつの6m×30mの調査区をチェックした。3m×3mの方形区1個分(つまり1/20)のデータをとる時間しかなかったが、やはり多くの林床植物種が消失していた。この2つの調査区をむすぶルートは、屋久島の中で被度80〜100%の林床植物群落が残る「聖域」だった。しかし今や、西部林道や小杉谷と同様に、シカ不嗜好植物がまばらに生えるだけの、スカスカの林床に変貌していた。無残である。いますぐに徹底したシカ管理をしたとしても、林床植物の世代時間から考えて、回復には30〜50年を要するだろう。
最近では、熱帯アジア各地を訪問して植物多様性調査をしているが、屋久島南部ほどシダ植物が密に茂った、多様性の高い林床群落は、見たことがない。屋久島南部の豊かな林床植生は、世界自然遺産の景観を構成する、まさに世界遺産級の群落だった。しかし今や、「だった」と過去形で表現せざるを得ない状況に至った。見通しが甘かった。1995年から2005年まで大きな変化がなかったことで、今後も大丈夫と安易に考えていた。しかし事態は、おそらくここ3〜5年ほどの間に、急速に変化した。この急速な変化の原因はいくつか考えられるが、推論の域を出ない。確かなのは、屋久島にはもはや、シカの食害が深刻でないエリアはどこにもないということだ。
放置すれば、状況はさらに悪化するだろう。まずは、2つの6m×30m調査区、および尾の間歩道入口から蛇の口滝への分岐付近までのルートに設置した7つのトランセクト(100m×4m)の再調査をできるだけ早期に実施し、その調査結果をもとに、次年度からの対策を関係各機関にお願いしよう。科学者がまずやるべきことは、現状を正確に記述すること、そして現状を放置した場合の変化を予測することだ。