考察と結論の書き方に関するコメント

9月1日から8日まで、えびの高原で野外実習を担当。8日に福岡に戻って、今日まで実習のまとめに対応した。午後のポスター発表で、すべての実習日程が終了。毎年、この実習が終わると、秋を感じる。
久しぶりにブログを見ると、8月15日の記事「考察の書き方:結論を先に書くか、後に書くか?」に対して、3人の方からコメントが届いていた。
Katsuraさんは、「結論を最後にもってくるのは反対」というご意見。反対の理由は、「Discussionから読み始める人は意外に多い」ということのようだが、そういう人のためにも、結果から結論への道筋をきちんと説明する必要があるのではないだろうか。
YIさんは、私が推奨する書き方では、「主題に直接関係のない、方法に関する議論だとか、結果の細かい解釈だとか、演繹法のきれいなスキームの中からはみ出てしまうような(いわゆる、ちょっとつけ足して書いておきたい、というような)事項」を書き込む余地がないのではないか、というご意見。「Discussionには結論への流れからはみ出たような事項は書くべきではない」とまでは言わないが、本筋に関係がないことなら、書かなくても良いのではないだろうか。文章技術にたけた人なら、書かなくても良いことをうまく書き込むことはできるだろう。しかし、そのような「技」を使うことを、初心者である学生に求める必要はないと思う。
O-84さんは、私と酒井さんの言うところの「結論」が、実は異なるものを指しているように思える、というご指摘。これは重要なポイントだろう。
「結論」が何かをきちんと定義することは、実はそんなに簡単ではない。「結果から直接導かれる結論」「より一般的な結論」という表現があるように、さまざまなレベルで「結論」を導くことができる。このようなレベルの違う「結論」どうしの関係は、バーバラ・ミントが指摘するように、階層的なロジック・ツリーで整理するのが、もっともわかりやすいように思う。
酒井著『これ論』では、この見解は採用されていないので、「結論」という言葉が意味する概念は、私とは多少違っていると思う。
つまり、「結論」とは何か、という問題すら、科学者の間で必ずしも合意されていはいないのである。
私は、このような問題についてもっと真剣に考えて、多くの科学者が合意するフレームワークを作る必要があると考えている。春以来、そのための努力を続け、かなり見通しがたってはきた。しかし、ゴールまでの距離は、なお遠いのかもしれない。
明日は、上京。週末は、阿蘇