安倍新内閣の教育・科学政策

つくばでの日本遺伝学会大会を終えて、東京に向かうところ。午後は学術会議の分科会に出る。
昨夜はホテルの部屋で、安倍新総理記者会見のTV生中継を見た。子どもたちが「学力と規範」を身につけられるように、公教育を再生するという方針を力説しているのが印象に残った。
憲法改正を目標に掲げ、教育基本法改正を当面の公約とし、大学入学を9月に変えて半年間のボランティア活動導入を示唆する新総理の教育政策について、心配する声をよく聞く。しかし、この時代にイデオロギー的な教育改革が成功する見通しはないと思う。この点に関しては、私はあまり心配していない。
注目すべきは、安倍新総理が、「学力と規範」という表現で、「規範」よりも「学力」を先にあげた点である。安倍新総理や、彼を支える「政策新人類」の基本的なねらいは、競争原理による教育改革によって、イノベーションを支える人材養成を行うことにあると思う。人口が減る中で、日本が経済成長を続けるためには、イノベーション創出が不可欠であり、そのためにはこれまで以上に教育に力を入れる必要がある・・・これが彼らの基本認識だろう。
しかし、競争だけでは、人心がすさむ。もし小中学校に学校間競争を導入すれば、義務教育の段階で子どもたちは、ランクづけされた学校に通うことになる。そこで、人心がすさまないように、かつての日本の家庭や地域共同体を支えていた「規範」を、教育の精神的支柱として再生しようという発想ではないか。
家庭や地域共同体を支える「規範」が弱体化している現実については、実は政治的な左右を問わず、多くの政治家や識者が同意している。問題は、どうすれば良いかということである。この点について、安倍新総理の政策的ビジョンは、まだ明快さを欠いている。
単純に古い道徳を再生しようとしても、うまくいくとは思えない。価値観が多様化した現代においてなお、多くの国民が納得できるような政策提案が必要である。そこで「競争原理」による改革という案が浮上するわけだが、これは危険な道だ。
教師が、良い教育をしたいと思い、教育に献身する行為は、利他行動である。利己的行動にもとづく事業なら、競争原理による改良が有効だが、利他行動である教育に関しては、競争原理が改善メカニズムとして機能する保障はない。むしろ、教育現場での献身的な精神を衰退させるおそれが強い。
「政策新人類」の根本匠氏や、さらに若い世代の世耕弘成氏が総理補佐官に任命された。世耕氏は、自民党の広報戦略を支えてきた人物であり、メディア対策にたけた人のようだ。ウェブサイトでは、文部科学省を廃止して小学校を民営化独立行政法人化し、競争させるというような政策を堂々と公表されている。極論を主張するほうが、注目を集めやすいし、譲歩する余地を拡大しておくことによって、「競争原理による改革」という実をとれる、という読みがあるのだろうか。根本氏の政策表現は、ウェブサイトを見るとよりまじめであり、教育・科学技術を含む政策全般にわたって体系的なビジョンを持っていることを自負されているようだ。科学技術政策に関しては、小泉内閣の方針を忠実に踏襲する主張を展開している。尾身氏が財務大臣で入閣されたことも考慮すると、科学技術によるイノベーションを国家戦略として重視し、思い切った予算を割いていくという方針は、安倍新内閣でも継承されるだろう。
大学・大学院に対する要求は、これまで以上に強まる可能性が高い。
これからの大学のあり方について、大学人が、しっかりとしたビジョンと具体策を持つことが、これまで以上に重要になると思う。
もうすぐ秋葉原