適応的共同管理(続)

その後、いくつか重要な最近の論文を発見しました。

Cosens BA, Gunderson L & Chaffin BC. (2018). Introduction to the special feature practicing panarchy: assessing legal flexibility, ecological resilience, and adaptive governance in regional water systems experiencing rapid environmental change. Ecology and Society 23(1):4. https://doi.org/10.5751/ES-09524-230104

この論文は、the Adaptive Water Governance (AWG) project of the U.S. National Socio-Environmental Synthesis Center (SESYNC) における3年間の成果をまとめた特集号のイントロダクション。Ostromのコモンズ研究もきちんとフォローしつつ、制度(とくに法律)の重要性という実践的な課題にきちんと言及しています。この特集号は、合衆国の6つの主要な集水域(フロリダのエバーグレイズや、北西部のコロンビア川流域など)における治水・水資源管理・生態系管理の成果と課題をまとめており、河川・湿地の研究者には必読文献ですね。Cosens らのイントロダクションはとてもよく整理されていて、使えます。「パナーキー」という概念には空疎な印象しか持っていなかったので、タイトルを見て読むのを後回しにしていましたが、読んでみると、とても良い論文でした。

ちなみに、「パナーキー」については以下のウェブサイトをご参照ください。

https://www.resalliance.org/panarchy

もうひとつ、有益な論文。

Bisaro A & Hinckel J (2018) Governance of social dilemmas in climate change adaptation. Nature Climatic Change, DOI: 10.1038/NCLIMATE2936

Ostromのコモンズ研究や、社会的ジレンマに関する研究をよく整理したうえで、気候変動への適応プログラムが直面する社会的ジレンマについて整理を試みた論文。これは過去の研究のレビューではないので、いま書いているパートに引用する内容ではありませんが、自然資源管理に関する考察のあとで、議論を気候変動をふくむより広範な課題へと展開するときに、引用できそうです。

さて、読んだ論文の整理もかなり進んだので、20編以上の論文を読んだ内容をエイヤっと一段落にまとめました。その次の段落で、

Here, we propose an organizational model of cooperation in adaptive co-management practices (Figure *). While a social-ecological system is composed of an interacting set of hierarchically structured scales called a "panarchy" (Gunderson and Holling 2003), a total system can be classified to the following ...

という書き出しで、オリジナルな議論を展開するところまで来ました(自分に拍手!)。

さあここから勢いに乗って書くぞ、と気持ちは高まってますが、明日までにやりますと約束している仕事が複数あり、ここで論文執筆を中断せざるを得ません。

 

適応的共同管理

いま書いている英文総説を完成させるために、Adaptive co-managementに関する論文を集めて読んでいます。新たに得たいろいろな知識を整理するために、文章化してみることにしました。昨日まで、英語で読んで英語で書いてきたのですが、ちょっと思考が袋小路に入ったので、日本語で書いて、整理を試みます。

Adaptive co-managementというコンセプトには、2つのルーツがあります。ひとつは、adaptive management。順応的管理と訳されますが、私は、「適応的管理」でいいんじゃないかと考えています。生物進化における適応と区別するために「順応的管理」と訳してきましたが、「気候変動への社会的適応」のように、社会が新たな状況に対応していくことを「適応」と呼ぶことが一般的になってきました。このような社会変化のプロセスは一種の選択過程であり、この過程を「文化的進化」という概念でとらえることができるので、「進化」「適応」という用語を社会に拡張して使うことを許容したほうが良いと考えています。

さて、adaptive managementは生態系管理や自然資源管理において発展した考え方です。生態系や自然資源の状態は複雑かつ確率的で、さらに非平衡であることが多いので、系の動きを正確に予測したうえで管理するのは不可能。そこで、対策を実験とみなし、対策を通じて系についての知識を増やし、新たな知識にもとづいて対策を修正していくのが妥当です。言い換えれば、最適解を求めるのではなく、よりましな解を探し続けるというアプローチです。そもそも対象が変化し続けるので、最適解などありえないと考える。Halling 1978, Walters 1986 らの研究で発展した考え。

一方で、co-managementの考えは、共有地(コモンズ)管理問題にルーツがあります。Hardin 1968 は「共有地の悲劇」という有名な論文で、人間の利己的性質によって共有地はつねに劣化すると主張しました。しかし、ノーベル経済学賞受賞者のElinor Ostromは、漁業資源や灌漑用水管理の事例を調べて、住民が自主的にルールを設けて「共有地の悲劇」を防いでいる場合が多いことを示し、政府による管理でも市場原理でもないco-managementが、共有地管理に有効なガバナンスであることを立証しました。Ostromはさらに、自主契約ゲームというゲーム理論によって自主契約が成立することを論証したり、室内実験によって、関係者どうしの会話が信頼関係を構築し、自主契約管理を促進するという事実を示したりして、co-managementの有効性を立証しました。この一連の研究は、人間が高い協力性(利他性)を持っていることを示した点で、進化生物学的にも興味深いです。なぜこのような高い利他性が進化したかについて、Bowles & Gintis 2011 A Cooperative Species において集団間選択が高い利他性を進化させたと主張して議論を呼んでいます。私自身は、集団間競争の下での個体選択(社会の中で利他的な個体のほうが有利になる)のほうが有力と考えています。とくに余剰な商品の交換や知識の交換のようなコストのかからない協力によってウィンウィンの関係が成り立つ局面は広くあり、さらにこのような協力に積極的な者が社会の中でより有利な位置をしめる状況も広くあったので、集団間選択よりこのような個体レベルの選択の力のほうがずっと大きかったでしょう。

このような2つの考えが組み合わされたのが、adaptive co-managementです。そのルーツは1997年のCIFORプロジェクトにあると書いている論文(Plummer et al. 2012)があるのですが、1996年に発表されたユネスコ生物圏保護区の新戦略文書の中にすでにこの考え方が書かれています。Ostromらの"Rules, Games, and Common-Pool Resources"という本の出版が1994年であり、この本で展開されたco-managementの有効性の議論がユネスコやCIFORなどでの自然資源管理に取り入れられた結果、adaptive co-managementという考え方が確立したと考えてよいでしょう。Plummer et al. 2012 によれば、adaptive co-managementに関して2000年以来100編以上の論文が出版されているそうです。Plummer et al. 2012 はその成功・失敗例を分析していますが、何が成功要因となるかについては、あまりすっきりした結論は得られていません。

これに先立ち、Folke et al. 2005 Adaptive governance of Social-Ecological Systemsというレビューで、co-managementが成功する条件についての整理が行われています。

Folke et al. 2005 は、(1)生態系の変化に対する社会の対応能力(Social capacity for responding to and shaping ecosystem dynamics)、(2)適応と変革のための社会的復元能力(Social sources of resilience for adaptability and transformation)、(3)より広域的な環境に対する適応的ガバナンス(Adaptive governance in relation to the broader environemnt)の3点について論じています。この3点は、内容的に重複していて、もうすこし整理したいですね。

(1)については、まず生態系についての知識を学ぶことが重要で、ここでは科学者とともに、地域の生態系についての経験的知識を持つ住民が重要な役割を果たすと書いていますが、これはまったくその通りです。近代科学の知識だけでなく、伝統的・経験的な知恵を尊重するという姿勢は、その後広く支持されています。IPBESアセスメントでもこの視点が重視されました。さらに、なすことを通じて学ぶ(政策が仮説の役割を、対策が実験の役割を果たす)という適応的管理の基本概念、さまざまな関係者間の協働に依拠するという共同管理の基本概念が書かれています。ここまでは何も新しくない。次に、適応的ガバナンスには、外部者の参加を含む社会的ネットワークが必要で、この社会的ネットワークにはいろんなケースがあるけど、そこでのコラボがうまくいくにはリーダーシップが重要だと主張されています。まぁ、そうですね。リーダーは、building trust, making sense, managing conflict, linking actors, initiating partnereship among actor groups, compiling and generating knowledge, and mobilizing broad support for changeなどのkey functionsを担う・・・これだけこなせるリーダーはなかなかいませんね。この主張をするなら、どうすればこのようなリーダーシップを獲得できるかについて考察すべきじゃないかと思いました。また、trust makes it easier to work together と信頼関係の役割を強調し、社会資本への投資において信頼関係の構築を重視すべき、との主張はまったくそのとおりですが、trustそのものについてもうすこし深めた考察がほしいです。

(2)については、生態系の急激な変化に対応するうえでは、「社会的記憶」(Social memory)を動員する必要がある、と主張しています。この過程では、利他的で、社会的スキルが高く、知識が豊富なmavens(達人)と、多くの人の間のつなぎ役ができるconnectorsが協力することが重要だと書いていますが、これは浅い議論だなと思いました。知識の問題と、コミュニティをまとめるリーダーシップの問題は、分けて考えたほうが良いと思います。続いて、危機におけるリーダーの役割が強調されています。新しい状況への適応だけでなく、社会の変革が必要とされる場合には、visionary leaderが変革をリードする必要がある。う~ん。

(3)については、bridging organizationの役割が大事、という主張。これは納得できます。特定個人のリーダーシップに依拠するのではなく、いろいろな活動の橋渡しをして、うまくコーディネートする制度はとても重要。屋久島の場合には、世界自然遺産地域科学委員会ができたことで、行政間、行政と島民団体の間の調整がうまく進んだ。このbridging organizationにおいて、科学者がvisionary leaderの役割を果たし得る、という主張にも賛成。

このほかにも、18編の論文を読みました。これから頭の中をもうすこし整理して、英文化します。

空飛ぶ教授のエコロジー日記Zに書いた記事一覧

はてなブログへの移行期間に移行手続きをしなかったので、「空飛ぶ教授のエコロジー日記Z」を新たに開設して、そちらに記事を書いてきました。しかし、「空飛ぶ教授のエコロジー日記」(Y日記)のはてなブログへの移行が完了したので、今後は2005年以来のブログであるこちらに続けて書いていきます。

3月以来、「空飛ぶ教授のエコロジー日記Z」に書いた記事は以下のとおりです。

 

ナガバギシギシに付くアブラムシは敵か味方か?https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/05/16

スイバの謎

https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/05/15

伊都キャンパス花だより

https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/05/14

詩の解釈の多義性ー万葉集の歌の解釈について考える

https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/04/08

令和の序文が詠まれた光景

https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/04/05

卒業生に送る言葉

https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/03/22

春を生んだ里山

https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/03/17

南アルプスでのリニア新幹線工事

https://yahara.hatenablog.com/archive/2019/03/16

花開童子

https://yahara.hatenablog.com/entry/2019/03/16/103043

 

新年度の抱負

いよいよ2018年度がスタートした。私はこれで、定年まであと2年になった。
5月1日で64歳になるが、先週もベトナムの山に登って、若い人と一緒に調査をしてきた。多少は弱ってきたかもしれないが、今の調子ならあと5年、70歳までは問題なく野外調査ができそうな気がする。
今年は、決断科学プログラムの成果を継承する一般社団法人をぜひ設立したい。この法人は、別に私が研究を続けるために設立するわけではない。自分の研究を中心に考えれば、他大学に移籍して研究を継続するという選択肢はあると思う。しかし、決断科学プログラムでせっかくユニークな教育・研究の成果が生まれているので、これを放り出したくない。
少子高齢化が進み、人口が減る日本では、教育・研究によって創造性と生産性を高めるビジネスは、成長産業のはずだ。しかし財務省は国立大学の定員と予算を減らし続けている。この方針が変わる見通しはない。このまま進めば、日本の大学は残念ながら活力を次第にそがれ、結果として日本全体の創造性と生産性が低下するだろう。そんなことは知ったこっちゃない、俺は植物の研究がしたいんだという気持ちがないわけではない。しかし、一般社団法人を作り、国立大学の縮小の一方で潜在的に増大している教育・研究ニーズに応えるビジネスを育てる仕事も、面白そうだ。幸か不幸か、この仕事は私がやらなければ、当分誰もやりそうにない。
決断科学プログラムの5年間で学んだのは、やる気になって努力すれば、自分のやりたい研究と、新しい教育や研究分野を作るという仕事は、両立できるということだ。
一年前に『決断科学のすすめ 持続可能な未来に向けて、どうすれば社会を変えられるか?』という本を出版した。この本を書いたことで、私の知識は格段に豊かになり、視野は格段に広がった。大学時代以来、いろいろなことに関心を持ってはきたが、それらの関心を本格的につないで体系化するという意図はまったくなかった。それができるとも思っていなかったが、やってみると、自分なりにできた。60歳を過ぎてからまったく新しい仕事をするという経験をできたことは、とても励みになった。
一方で、この5年間は専門分野での論文数も被引用数も伸び続けている。年あたりの被引用数はほぼ倍になった。この数字は、国際プログラムでの共著論文にも支えられているので、私にとってはあまり重要ではないが、自分がやりたい研究ができているという実感・手ごたえがあるのが嬉しい。今日も、かなり注力した論文原稿をひとつ投稿し、共著論文原稿2編にコメントを返した。今年に入って出版された論文数はすでに14編にのぼり、投稿中が11編、もうすぐ投稿できそうな原稿が12編ある。さらに、いくつか書きかけの原稿があり、これから書きたいネタは山のようにある。7年間かけて取り組んできた東南アジアの植物多様性研究が収穫期に入っており、他のグループの追随を許さない論文が次々に書ける。また、キスゲプロジェクト、伊都キャンパスの生物多様性保全屋久島での生態系管理、指導している大学院生の研究テーマでも、面白い論文が次々に書ける。論文を書くのが楽しくて仕方がないという状況にある。論文執筆能力は経験を積むごとに向上しているので、学生の論文指導も以前よりうまくできていると思う。
この4月からやってみたいのは、1〜2年生向けの実験的教育だ。過去にも、全学共通教育少人数ゼミの枠で、新キャンパスゼミを4年間開講したことがある。4年間の受講生が書いてくれたレポートは以下のサイトにまだ掲載されている。
http://seibutsu.biology.kyushu-u.ac.jp/~ecology/yahara/NewCampusSeminar.html
この当時は、レポートを書いてもらうところで終わっていたが、今なら論文を執筆するところまで1〜2年生を育てられると思う。また、決断科学プログラムと連携すれば、さまざまな現場経験を積んで人間的に成長する場を提供できる。また、スキル教育をしっかりやってみたいという思いがある。さらに、多言語同時学習というアイデアを試してみたい。
これまでの大学教育は、意味記憶偏重だった。人を育てるには、意味記憶だけでなく、エピソード記憶や非陳述記憶(暗黙知)、手続き記憶を豊かにする必要がある。また、システム2(理性)とシステム1(直観)をバランス良く鍛える必要がある。決断科学プログラムではこのような理解にもとづいてカリキュラムを組み立てた。しかしこのような教育は、本来、1〜2年生でしっかりやっておくべきだ。
教養教育が大事だという意見はしばしば聞かれるが、ではどうすれば実のある教養教育ができるのかという問いについて、説得力のある見解を聞いたことがない。それならば、私の理論を実践して、実証試験をしてみたい。
生物学科の新2年生に、私の実験的教育への協力者をすでに見つけているので、新1年生にも声をかけて、あと2年間で、どこまでの高みに到達できるか、やれるだけやってみたい。
一方で、今年はまだ調査できていないボルネオのキナバル山、ミャンマー、フィリピンを訪問して、植物多様性の調査をしたい。7年間かけて行なった140地点での調査結果に、これらの調査地のデータを加えれば、Natureに論文を書くことも夢ではないと思っている。
定年まであと2年しかないのに、やりたいことは増える一方だ。幸い、能力も高まっている気がするので、さらに努力して、やりたいことを一通りやり遂げてから、定年を迎えたい。

2018年度スケジュール表

これでアクセスできるはずですが、念のためツイッターのアドレスにもリンクしておきます。

財務省報告80ページ全文

朝日新聞のウェブページに財務省報告80ページ全文のpdfが掲載されています。報道はこうあるべきです。このpdfのダウンロード数を表示すればもっと良いと思います。みなさん、ダウンロードして読みましょう。ここまで大幅に改ざんされているとは思いませんでした。公文書がここまでデタラメだと、公正な行政が成立しません。事実と道理にもとづく行政・政治か、嘘と忖度による行政・政治か、それが問われています。潮目は変わったでしょうね。自民党内でも霞ヶ関でも、嘘をつき続けることに耐えられなくなってきたのだと思います。右か左か、改憲か護憲か、というような対立をこえた流れになっていくでしょう。